セックスを披露するAV女優の社会的意義とは
AV女優がいなければ、社会の秩序は保たれません。
世の中に必要な職業なのです。
誰かがやらなくてはならないのです。
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AV女優の職業とは
女性が体を売ってお金を稼ぐ性風俗産業のひとつにAV女優という職業があります。
これは今更説明する必要もないことでしょうが、女性が男性あるいは女性との性行為を行うところを映像に収め、男性に視覚的興奮を与えることを目的としたものです。
AV女優という職業では当然ながらセックスをしなければなりません。
もちろん、この他にもAV女優としてのインタビュー、イベント出演、グラビア写真撮影、ヌード写真撮影、有名になればテレビタレントとしての活動、映画出演などの仕事もこなしていきますが、もちろんメインの仕事であり彼女たちにとってもメインの収入の道となるのはセックスを披露することです。
社会的に認められてきている
今でこそAV女優として腹たく女性の社会的地位はいくらか改善されましたが、一昔前までは酷いものでした。
もともと性風俗は、生きていくことに窮した女性が生活の道を立てていくためのセーフティネットとして機能していたものです。
代表的なのはソープランドやデリバリーヘルス、ピンクサロンなどではたらくというもですが、それらの職業では客対女性でこなす仕事であり、裸をさらすのは客に対してだけでよいものです。
しかしAV女優として働く場合には、自らの性行為の様子や裸体を多くの視聴者に対してさらさなければならばならず、ネット全盛時代の現代においては無数の人に裸体と性行為の様子が見られることとなります。
一般的には嫌悪感を示すが…
風俗店に勤務して体を売ると言うというだけでも多くの人は嫌悪感を示すものです。親からすればわが子が風俗店で働くことは我慢がならないものですし、恋人が風俗店で働く場合も同様です。
ましてやAVに出演するなどは「もってのほか」という人がほとんどでしょう。
人から嫌われる汚れた仕事であると言うイメージが常に付きまとい、体を売るという最終的手段に頼らざるを得なかった哀れで汚い女性とみられてしまうのです。
しかし、性行為という物の起源や尊さ、人間社会における必要性を考えるならば、この見方はあまりにも穿った見方です。
このことは、人間の、とくに日本人における原初の性行為のあり方を見ればよくわかります。
セックスは本来神聖なものなのです
日本における土着の宗教である神道は天皇陛下を上に戴く大変尊いものですが、その神道において性行為は決して汚れたものとは見なされず、むしろ尊いものとして見られています。
この世の始まりの時、まずアメノミナカヌシという神様が出現され、カミムスビ・タカミムスビという二神が出現されました。
それからいくつかの神様が出現され、やがてイザナギという男性の最初の神様とイザナミという女性の最初の神様がお生まれになりました。
イザナギ・イザナミはこの世界を作っていくことになりますが、それに際して行ったことは何か。それはセックスでした。
古事記のなかではセックスのことを「みとのまぐわい」といい、まぐわう、つまりセックスをすることによって多くの神様を生んでいきました。
こまごまとしたことを話すときりがありませんので割愛しますが、イザナギ・イザナミのセックスの果てにやがてアマテラスオオミカミが生まれます。
アマテラスオオミカミは日本の神様の中でも最高神として尊ばれる存在であり、日本最高の神社である伊勢神宮に祭られている神様であり、日本が世界に冠たる皇室文化の原初です。
イザナギ・イザナミのセックスがなければ日本の文化は語ることができないのです。それほどに、本来は日本においてセックスというものは寛大に見られ、尊ばれていたものなのです。
このことは、日本におけるセックスを表す本来の言葉である「まぐわい」からも分かります。
「まぐわい」は本来の仮名遣いになおすと「まぐわひ」です。「まぐわ」は「まぐわう」ということであり、これは「交わること」を表します。
そして「ひ」とは、「霊(ひ)」であり、つまり霊魂を表します。したがって、「まぐわひ(=セックス)」は単純に男性器を女性器に挿入する行為を示すものではなく、そのような行為を通して男女の魂が交わる神聖な行為のことを表しているのです。
たしかに、そのような本来神聖な行為を売り物にすることを嫌悪する人もいるのも事実ですが、だからといって性行為そのものまで否定するかのような勢いで性風俗産業に従事する女性を排撃することは明らかな誤りであると思います。
裸体や性行為をさらすことが不適切というのも本来は誤りということは、日本の神代における別の逸話からも分かります。
あるとき、スサノオという神様がアマテラスオオミカミの住んでいる高天原という、いわゆる天国のようなところで傍若無人の限りを尽くしたことがありました。
ちなみに、スサノオはアマテラスオオミカミの弟です。あまりに弟のスサノオが荒ぶるものですから、アマテラスオオミカミは怒って天の岩戸という洞窟にこもって入口を「千引岩」という千人で引いても動かないような大岩で閉じてしまいました。
アマテラスオオミカミは太陽の神様です。
この神様が岩戸にこもられたことで、世の中は真っ暗になって、古事記によると「さ蠅なす湧きあがり」という風に悪いものがうじゃうじゃと沸き起こって世の中は混沌に落ち入りました。
さて、困ったということで八百万の神々たちはどうするかを決めるために天の安河原というところで会議を開きます。
会議を取り仕切るのはオモヒカネノカミという皆の思いをかねる(集める)ことに優れた神様です。
その神様の下に会議を行い、その結果アマテラスオオミカミを岩戸から引き出す計画が決められました。
それが古事記神代における一大事である「岩戸開き」というものです。
岩戸開きはどのようにして行われたのかと言うと、アメノウズメノミコトという女性の神様が舞台に立って八百万の神々たちが見ている前で裸で踊ります。
つまり、現代におけるストリップショーを行いました。これを見て八百万の神々たちは愉快な気持ちになり、笑い、わいわいと騒ぎました。
このわいわいと愉快に笑うのを岩戸の中で聞いたアマテラスオオミカミは外で何が起こっているのか気になって仕方がありません。
ついにたまらず、千引岩を少しずらして外の様子をうかがいました。
そこを、タヂカラオノミコトという力持ちの神様がアマテラスオオミカミの手を引いて外に出しました。
これによって世界は再び光に満ちて平和が戻ったといいます。
この逸話の要点を見てみると、アメノウズメノミコトが裸になって多くの目にさらしたことで愉快な雰囲気が生まれ、それを気にしたアマテラスオオミカミが出てきたという構図になります。
つまり、問題解決のはじまりはアメノウズメノミコトが裸をさらしたことにあります。
そうすることで、アマテラスオオミカミを強引に岩戸から出すのではなく、岩戸から自発的においでになる機会を作ったのです。
実に、性を人目にさらすと言うことには本来このように明るい世の中を作り出す効果があるのです。
性産業がなければ性犯罪は増える
つまり、AV女優として働く女性がいるからこそ、社会の性風俗に一定の秩序が保たれています。
現代に即して考えるならば、もしAVを一切規制してしまえば、色々な不都合が起こることでしょう。
例えば、AVで女子高生に扮したAV女優がセックスを披露することがなければ、未成年に対する性犯罪は今よりずっと増えることでしょう。
もしAV女優が疑似でのレイプをAVで疲労しなければ、本当のレイプは増えることが予想されます。
多くの男性の性的願望・欲求をAVを通して満たすことで、社会秩序を保つことができているのです。
必要な職業なのです
このように性というものを本質的に考えれば、AV女優という職業を侮蔑する意見は明らかに誤りであることが分かります。
したがって、AV女優になりたいという願望を抱く女性を軽蔑するのも、同時に誤りであることが分かります。
昨今のAV業界ではAV女優としてデビューする女性が毎年6000人もいるとのことで、この数字は驚きに値するものであることに違いはありません。
そして、働く当人たちは過酷な労働環境にさらされることも決して少なくないことでしょう。
しかし、このようにAV女優という職業がより一般化していき、有名なAV女優が一般メディアに進出していくことによって、性風俗に対する一般大衆の認識は着実に本来の正しい認識へと近づいていくことでしょう。
結論、誰かがやらなくてはならないのです
AV女優として働くことを希望する女性は、このように日本古来の考え方では性を人にさらすと言うことは本来恥ずべきことではないとしっかり認識し、胸を張って生きることもできると知っておくことは大切なことです。