AV業界の進化
皆さんは、AVというものをご存じと思います。
アダルトビデオのことであり、セックスを撮影した映像をビデオやDVDにダビングしたものを販売したり、また最近ではインターネットが普及したことによって、インターネットを通じて配信する形での販売も行われています。
そんなAV業界の進化をたどってみました。
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AVは進化を続けている
AVは非常に昔から存在するものと思われることもありますが、実は誕生したのは1981年であり、歴史はそれほど長くはありません。
ちなみに、裏ビデオという言葉もありますが、これはモザイク処理をしておらず性器などが見えているもののことであり、モザイクなしのビデオを裏ビデオ、モザイクなしのDVDを裏DVDと言います。
「アダルトビデオ」と呼ぶ時には、一般に流通している、モザイク処理が施されており合法的に流通しているもののことを指します。
AVの歴史は短いものですが、誕生したころと今とでは大きく変わっています。
何しろ、この30数年間でテクノロジーは非常に発達し、それにともなってAV政策に使用される機器も発達したからです。
また、当時と今ではわいせつ基準も変化していますし、流通、人口比率、人々の性に対する意識なども変化しているのですから、変化しないわけがありません。
また、AVに変化をもたらすこれらの要素は現在進行形でさらなる進化を遂げていますから、AVも日々進化していると言ってよいでしょう。
縮小する性産業
生物である以上、種の保存の本能から誰もが性に関心を持っているものであり、それだけにアダルト産業は時代に左右されない産業とされてきました。
しかし、最近のアダルト産業は暗黒期に突入しています。
AVだけではなく、他のアダルトメディアであるエロ本や性風俗店など、性産業と言われるものが回復不能と言われるほどに景気の悪い状態となっているのです。
特に、エロ本への打撃は深刻な物ものです。
まだインターネットがそれほど身近でなかった10年ほど前は、世の男性にとってエロ本は欠かせないものでした。
エロ本は出版産業において重要な地位を占めていました。
しかし、今やインターネットは全ての人にとって身近なものとなりました。
スマホを使えば簡単にインターネットを利用することができ、性に関するワードで検索すればいくらでもエロ画像やエロ動画を見ることができます。
わざわざエロ本を購入する理由が非常に少なくなり、エロ本の消滅は時間の問題です。
このように、性風俗産業はデフレ化の一途をたどっています。
AV女優を初めとして、AV業界に関わっている人の多くが、過去に経験したことのないような不景気に見舞われており、先の見えない苦境にあえいでいます。
アダルトビデオの市場規模は500億円程度
一説によると、AVの市場規模は4000億円とも5000億円とも言われます。
上記の通り、性欲に伴う産業は景気に左右されることがなく、世の中が不況の時代でも強いとされてきました。
しかし、実態を調査すると、この認識がもはや古いものとなっているといわざるを得ません。
まず、4000~5000億円という市場規模というのが疑わしく、不況の差異には実際に切り捨てられているのです。
この傾向はここ数年になって表れた傾向ではありません。
10年以上前からAV業界の市場規模は右肩下がりとなっており、AVの売れ行きは芳しくありません。
2000年以降、合法的に販売可能なAVはDMMグループとソフト・オン・デマンドとプレステージが業界を三分しており、経営の合理化も著しく進んでいます。
34年の歴史の中でAV業界が好景気であった時代は、ビデオデッキが家庭に急速に流通し、その流れに呼応するようにレンタルビデオ店が激増した80年代後半から90年代初めまでの数年間に過ぎません。
その後、レンタルビデオ店もAVを卸すAVメーカーに続き、セルAVがユーザーにAVを直接販売する形で隆盛を誇るようになりました。
この時代には、怪しい違法メディアの取り締まりも緩く、AV業界は膨張していきました。
この流れが2002年あたりまで続きました。
この間の最盛期は2000年前後ですが、この時にはAVメーカーが数百社も存在していました。
それだけ市場規模が大きかったからこそ、メーカー数も非常に多かったのです。
その数百社ものAVメーカーは、十数年間を費やして洗練されていきます。
すなわち、右肩下がりの業界において、力なきメーカーは倒産し、消滅し、あるいは買収され、グループ化し、それらの流れのなかでDMMグループ、ソフト・オン・デマンドグループ、プレステージの3社に集約されることとなったのです。
まさに寡占化の流れであり、これらの3社が市場の約8割を占有しています。
といっても売上高は振るわず、DMMグループが129億円(2013年7月期)、ソフト・オン・デマンドグループが143億円(2014年)と言った状況です(プレステージのデータはありませんが、業界3位なのでこれ以下になります)。
この3社を合わせて400億円弱、このほかに裏ビデオや海賊版での売上があるため、それらを含めるとAVの市場規模はせいぜい500億円くらいのものです。
アダルトビデオと言えば知らない人がいないほどの有名な産業であるにもかかわらず、市場規模はこの程度なのです。
AV業界は不景気の一途をたどる
アダルトビデオ産業はこのような小さな世界ですが、縮小したからといってうまく回っているわけではありません。
市場規模に見合わない激しい競争が行われたことに原因があると考えられます。
特に2006年あたりから徐々におかしくなってきています。
このころの大きな特徴として、芸能人がAV業界に転身を始めたというものがあります。
つまり、AVというものが持つそのものの価値というよりも、出演者の商品価値に依存した商品づくりが行われるようになったことで、出自が一般的なAV女優の価値が低くなり、価格基準の崩壊が起こってきました。
昔は、AV女優になると言うことは女性にとって一大決心を伴うものだったのですが、そのような決心とともに裸になっても仕事にありつけないという異常な様相を呈するようになっているのです。
資金力のないAVメーカーは当然商品価値の高いAV女優へのオファーをかけられずに苦戦を強いられるようになり、さらに2008年に起こったリーマンショックに端を発する世界不況、さらには2011年の東日本大震災などが起こったことで、AV業界は行き詰まるようになりました。
このように、AV業界は10年ほど前から行き詰まりが起こっています。
AV業界全体でリストラや経費削減が行われるようになり、AV業界は「食っていけない」業界になりつつあります。
初期のAVの利益率は最低66%!
さて、上記において、AV業界が膨張した背景には、1978年に始まった一般家庭へのビデオデッキの普及があります。
この流れに乗じてアダルトビデオが登場し、AV産業の膜分けとなるわけですが、この皮切りとなったAVは「動くビニ本」つまりそのころはアダルトメディアとして大部分を占めていたエロ本が動く(映像化される)というコンセプトのもとに販売されました。
これが1981年のことです。
その後、正式にアダルトビデオとして日本ビデオ映像からいくつかのAVが発売されました。
それから34年がたった今、AV産業にはどのような変化が起きたのでしょうか。
最近では、AVという言葉がごく一般的な物になりました。
エーブイ、アダルトビデオ、AV女優、AV男優という言葉は誰もが知っています。
これは紛れもなく、浅い歴史の中でAVというものが一般社会に広く根付いたということです。
AV創生期に活躍したAV業界の人々は、いまだ現役で活動しています。
その中でもよく知られた人物の一人に、村西とおる監督がいます。
村西監督は70年代にビニ本や裏本を制作する北大神田書店グループを操業して大成功をおさめたものの、猥褻図画販売目的所持容疑で逮捕された波乱の人生を歩んでいます。
その件は執行猶予付きで釈放となり、その後アダルトビデオに進出。
爆発的ヒット作も制作し、アダルトビデオという新しいメディアの誕生に貢献しました。
当時はビデオデッキもビデオテープも高価な物でした。
AVにしてもそうです。
映像の編集からダビングまで全て手作業で行われており、商品にすること自体が簡単なことではありませんでした。
だからこそ、アダルトビデオは1本あたり1万5000円が定価となっており、1泊2日のレンタルでも1000円弱の値段設定でした。
今からすると考えられないような高値です。
そのため、今のように一般のユーザーがAVを購入することはありませんでした。
レンタルビデオ店が問屋に注文し、問屋がAVメーカーに注文するという形態であり、AVメーカーの卸値は6割の9000円が相場あり、そこからさらに問屋が3000~5000円を抜いていたといいます。
この様な高価格であっても、ビデオデッキが一般に普及し、それに伴ってレンタルビデオ店が急増し、それらの店舗にAVが並べられると考えると、相当な流通となりました。
当時のAVは高価格でしたが、在庫が余ることがないほどの売れ行きであり、非常に安定かつ売上が大きな業態だったのです。
つまりAVブームが巻き起こったわけですが、ブームのころのメーカーの売上は大変な物でした。
なにしろ、新作AVがリリースされると、発売日に最低でも2000本くらいは売れます。
メーカーの1本あたりの売上は9000円ですから、これが2000本売れれば1800万円です。
もちろん、発売日以降も売れていくのです。
AV初期のAV女優の出演料は50万円程度、製作費は200万円、製作費(テープ代や編集費、ダビング代、モザイク処理費など)が300万円かかったとしても、発売日の売上だけで1200万円以上ももうかる計算となります。
利益率にすると約66%という驚異的なビジネスだったのです。
初期の驚異的な売り上げ
当時の人気メーカーの売上は具体的にどのくらいだったのでしょうか。
試算してみると、これまた驚異的であることが分かります。
あるメーカーが、ある月に8本の新作をリリースしたとします。発売日に1本あたり2000本売り、その後月間に8タイトルで8000本売れたとします。
こうなると、新作の発売日での売り上げは1億4400万円、その後に月間で7200万円の売上になります。
月間の売上は2億1600万円となり、これを毎月の平均とするならば年商25億9200万円です。
これがいかに驚異的な売り上げであるかは言うまでもありません。
上記における利益率(66%)を適用すると、約17億円もの利益となります。
AV女優のギャラや撮影・制作に伴う経費はメーカーによっても作品ごとにも異なりますが、少なくとも500~800本の販売ができれば採算は取れることを考えると、まさに大儲けです。
各AVメーカーは売上を公表していないため定かな数値は分かりませんが、80年代のAVメーカーがこれくらいの儲けを出していたことは十分に考えられます。
自社ビルを建てるAVメーカーがあることも、この儲けを見れば納得がいきます。
ビデオがVHSになった背景にはAV業界があった
ビデオデッキの普及に伴ってAV業界も膨張していきましたが、ビデオデッキの普及率の推移を見ると、1983年は11.8%、1984年は18.7%、1985年は27.8%、1986年は33.5%、1987年は43.0%、1989年は63.7%となっていることからも分かるように、ビデオデッキの普及率は爆発的なものでした。
一般的に家電製品の普及沸騰は35%が分岐点と言われており、35%を超えると急速に普及していくものですが、これはビデオデッキも例外ではなく、1986年に約35%に達したところ、それ以降の数年で急速に普及していきました。
AVもこの流れに合わせて急速に普及していきました。
また、家電メーカーが戦争状態に突入し、ビデオにはVHSとベータマックスの2種類の規格が売り出されました。
これによって、1本のAVも必ず2ずつ売れるという状態となり、これもAV市場の成長に拍車をかけました。
ちなみに、VHSは松下電器産業、ビクター、シャープ、三菱電機、日立製作所、船井電機が制作し、ベータマックスはソニー、東芝、三洋電機、アイワが制作し、この二つが激しく争いました。
これをビデオ戦争とも言いますが、ビデオ戦争末期の80年代後半にはAVにおける美少女ブーム、淫乱ブーム、巨乳ブームなどが起きました。
1986年くらいはまだまだ初期であり、AVのタイトル数もそれほど多くはなく、大手AVメーカーはVHSとベータの両方で発売をしていましたが、新規参入するAVメーカーは経営体力が豊かではないため、安価なVHSを主流として売られるようになっていきました。
このことから、レンタルビデオ店に陳列されるAVはVHSが主流となっていき、これがビデオ戦争にVHSが勝利した一つの要因とも言われています。