AV業界の光と影~対人恐怖症の女性がAV女優に~
かつて、AV業界には暗い部分も多かったものです。
いまでは劇的にクリーンになったため、一般的な暗いイメージからは程遠いものとなっていますが、2000年代初めのAV業界にはまだそのような暗さが残っていました。
不幸な過去を抱えた女性が、例えば親の借金を負うなどしてAV女優になっていたり、精神病を患ってAV業界以外で働き先がなかったためにAV女優になっていたりするケースが非常に多かったのです。
そのときのAV女優のイメージが今も根強く残っており、社会からはAV女優は不幸な女性と思われているのです。
ここでは、昔は多かった、精神病を理由にAV以外で働けなかったHという女性を紹介します。
トラウマから対人恐怖症になる
企画女優である彼女は極度の対人恐怖症であり、普通の仕事に就くことができないのです。
なぜ対人恐怖症になったかと言えば、元々の精神的なもろさと、人間関係がうまくいかなかったことが原因となっています。
人間関係がうまくいかなかったのは彼女が頭の中で覚えている最初の頃からのことであり、幼稚園の頃から人間関係がうまくいかなかったといいます。
友達がなかなかできず、なぜか嫌われていました。
おとなしかった彼女は他人に嫌がらせなどをするという事はなかったのですが、なぜか嫌われていました(もっとも、このことには精神病患者特有の被害者妄想もあることでしょう)。
小学校、中学校、高校でも友達というほどの人はおらず、必要に応じて少し話す程度でした。
卒業して大学に入学すると、初めて友達ができました。
非常に仲の良い友達で、授業を一緒に受けたり、ご飯を一緒に食べていたりしていましたが、あるときその友達が彼女のことを急に避けるようになりました。
おかしいと思って聞いてみると、友達はHのせいで友達ができなかったと言ったそうです。
それがショックで誰とも話せなくなり、学校に行くのが嫌になって、ショックで何日も寝られない日が続きました。
友達の顔や声を思い出すと胸が締め付けられるように痛くなりました。
ある時、勇気を振り絞って学校行くことにしました。
学校で友達に会うのが嫌で嫌で貯まりませんでしたが、親が学校にいくようにしつこくいってくるし、試験前で大事な授業もあったからです。
彼女の学校は多摩地区の学園地帯の一角に位置していたため、最寄りの私鉄で中央線沿線のある駅まで行き、乗り換えて学校まで行く必要がありました。
嫌だ、嫌だと思いながら電車に乗っているとき、友達の顔や声を思い出してしまい、行きたくない行きたくないと心の中で唱えている内に、強い吐き気がして立っていられなくなりました。
対人恐怖から、典型的なパニック障害になってしまったのです。
それからというもの、彼女は電車に乗るたびに同じような症状に襲われるようになってしまいました。
パニック障害というものは得てしてそういうもので、自分が強いトラウマを抱えている対象物を思い起こさせるものに接触した時、不安の余りその対象に近づくことへの拒否反応から、様々な身体的症状が現れます。
彼女の場合は強い吐き気でしたが、他にも手足がマヒする、過呼吸になって動けなくなる、ブラックアウトして倒れるなどの症状が現れます。
最初は学校へのトラウマから、学校へ向かう電車の中でパニックを起こしていたのですが、やがて人が集まるところで同様のパニックを起こすようになりました。
人ごみの中に行けばパニックを起こし、ティッシュ配りの人や客引きなどの知らない人から声を掛けられるものならばうずくまって動けなくなってしまうほどの状態になってしまったのです。
そのため、どこへもいくことができないようになり、引きこもるようになりました。彼女が19歳の時のことでした。
対人恐怖症の原因はほかにもあります。
例えば、経済的なコンプレックスです。
彼女は引きこもりの状態であるために働くことができず、経済的困難を抱えています。
そのため、同世代の女性が着ているような可愛い服を着たり、可愛いかばんを持つことができません。
いつも母親のおさがりばかりです。
それが恥ずかしく、人がいるところに行けないのです。
他にも、当時(2000年代初め頃)は多くの人が携帯電話を持っていましたが、彼女は経済的な理由から携帯電話を持つことができず、PHSを使っていました。
それも恥ずかしく、人前に出られないのです。
母親の服を着ている、PHSを使っている、そんなことで町中の人から馬鹿にされることはあり得ないのですが、被害妄想が拡大してパニックになってしまう。精神病疾患のよくある例です。
有名人になって、友達を作りたかった
そんな彼女がAV女優になったきっかけは、有名人になりたかったからです。
芸能人ではなく有名人。
有名人になれば名前を知られて、握手を求めてくるなどで人が寄ってきます。
人は怖いけれども、寄ってくる人の大半は好意を持っている人です。
友達もたくさんできるかもしれません。
引きこもりが5年になるころ、彼女はそのようなことを考えるようになっていました。
そんなときにスカウトマンに声を掛けられました。
当時の彼女はもう精神科にも見捨てられていたような状態であり、何とかしなければと焦っていたころでもありましたから、スカウトに応じることにしました。
有名人になる手段を色々と思案した結果、グラビアならば自分でもできるかもしれないと思ったのです。
しかし、グラビアといえば若ければ若いほどよいという業界ですが、彼女は既に24歳であったため、ヌードモデルをやってみてはどうかと思うようになっていました。
裸になることで有名になれるかもしれないと思ってスカウトに応じ、事務所に所属することになりました。
有名になりたいというのは、AV女優やアイドルを目指す若い女性特有の自意識過剰な希望としてよく見られるものではありますが、彼女の場合は有名になってたくさん稼ぐなどということではなく、最終的な目標は友達を作る事であったというのが特徴的です。
普通の人ならば友達を作るくらい、有名でなくともいくらでも可能なことですが、24歳までまともな交友をしたことがなかった彼女にとっては、友達を作るというのはそれほどの重大事だったのです。
また、経済状況を改善したいという思いもありました。
対人恐怖症の彼女がアルバイトなどできるはずもなく、経済状況は最悪でしたが、エロ本ならば自分にもできるかもしれないと思ったのです。
PHSの代金を支払ったり、余裕があれば服も買いたい。
そのためには仕事をせねばならず、色々な面で裸を売るほかなかったのです。
しかし、彼女はAVでの本番はNGとしています。
事務所も彼女が余りにも特異であるため、腫物に触るように扱うほかありませんでした。
そのため、彼女への仕事オファーは写真の仕事が月に1~2回ほどです。
有名になって生まれ変わると決心したものの、なかなか仕事が来ないことに最初は大きな不安を覚えたそうです。
最後の最後にしがみついたもの、「裸になれば私でもさすがに稼げるだろう・・・(それ以外に道はない)」と思ってしがみついたものですから、祈る気持ちで仕事を待ったことでしょう。
しかし、最初の仕事がなかなか入りませんでした。
彼女はPHSを目の前において、毎日何時間もじっと待ちました。
それが何週間も続いたのですが、なかなか鳴りませんでした。
彼女は絶望して手首を切りました。
しかし、痛いだけで死ぬことができないため、持っていた睡眠薬を全部飲みました。
三日三晩寝込んだだけで死には至らず、自殺未遂に終わりました。
目が覚めた数日後にようやく最初の仕事が入りました。
AVの撮影は1回だけ
彼女は、実はAV女優になるまでセックスの経験がありませんでした。
処女だったのです。
初体験はAVで経験することになります。
しかし、対人恐怖症の彼女はヌードモデルはいいけどセックスはなかなか承諾しませんでした。
そんなとき、あるAV監督が彼女を騙してハメ撮りに持ち込んだのです。
「結婚しよう」と情熱的に何度も口説いたり、20歳を過ぎて処女のままだとアソコが閉じて一生セックスができなくなってしまうなどと嘘をついてセックスに持ち込んだのです。
彼女自身もヌードモデルだけでは有名になれないという自覚はあったため、AVに挑戦してちゃんとできたら単体でAV女優をやりたいと思っていました。
当時AV女優として人気だった苺みるくへの憧れもありました。
しかし、いざセックスをしてみると想像していたよりもずっと激痛であったため、大暴れして監督を突き飛ばし、撮影はそこでストップせざるを得なくなりました。
こうして、彼女はヌードモデルだけのAV女優となりました。
しかし、彼女の仕事といえば上述の通り月に1~2回のヌードモデルだけであり、それで数万円を稼ぐだけです。
脱ぐことを決心した本当の目的である有名になる事と経済状況を改善することが達成されることはありませんでした。