マラソンランナーが有名AV女優になるまでの経緯
AV女優になる女性は脱ぐことしか能がないからこそAV女優になっていると思われることが多いものです。
たしかに、脱ぐことしか能がないといえば聞こえは悪いですが、そのような女性もおり、それもまた天賦の才能を活かした生き方であるといえるでしょう。
しかし、実際には多彩な才能を持ったAV女優もいます。
多才なAV女優たち
最近では才能を活かし、歌手活動をしたり、漫画を描いたり、本を書いたりするAV女優も多くなりました。
また、昔からAV女優がその特殊な経験を活かしてライター活動をするというのはしばしば見られたことです。
なかには学業やスポーツにおいて非常に優秀な成績を残した女性もいます。
AV女優は裏稼業というイメージがいまだに強い職業ですが、最近は特に若い女性の間ではあこがれの職業として挙げられることが多くなりました。
このことは、長い時間をかけて何万人というAV女優がデビューしていく中で、その中でもひときわ優れたごく少数の女性たちがAV女優に向けられる偏見をはねのけて活躍してきた結果です。
そんな女性たちが活躍して社会の意識に少しずつ働きかけ、最近ではAV女優が一般メディアに出演したり、アイドルのように歌って踊って人気を博したりするようになった結果、女性に憧れられることもある職業となったのです。
そのような活躍を見せた女性たちもまた、やはり他人は真似できない何らかの才能を持っていることが多いものです。
今回は、そのような抜きんでた才能をもったAV女優の話です。
マラソンの実力者
AV女優Sは元々マラソンランナーでした。
親は教育熱心で勉強にうるさく、友達がみんな男に夢中になる時代にもマラソンに情熱を傾むけ、ひたすら自己ベストを更新して他人に勝つことだけを考え、様々な欲求を振り払って精神的・肉体的な鍛錬に余念がありませんでした。
彼女自身、人生で唯一情熱を傾けたのがマラソンだったと語っています。
中学校の最後の大会では都大会で優勝し、一番になることの喜びを知りました。
高校も親の反対を押し切り、スポーツの強い高校に入りました。
親は偏差値の高い学校を勧め、彼女にもその実力はあったのですが、当時の彼女にとっては走る事だけが全てであり、偏差値などどうでもよかったのです。
持久力があるために距離が長ければ長いほど実力を発揮できるタイプのマラソンランナーであった彼女は、距離が長い大会でいくつもの入賞を果たしました。
生活のすべてはマラソンのためにありました。
一日は朝練から始まり、毎日15kmのロードワークを雨の日も風の日も欠かさず行いました。
なにしろ、陸上の長距離は「三日休んだら一からやり直し」という世界だといいます。
また、彼女の場合は都大会で優勝した実績がありますから周りからの期待も大きく、プレッシャーも感じながら一番を目指して努力を続けていたのでした。
しかし、すべて順風満帆とはいかないのが人生です。
彼女は高校でマラソンを続け、大学でもマラソンに取り組み、社会人マラソンやオリンピックを目指していくという人生設計をしていたのですが、彼女は高校一年生の時に喘息になってしまいました。
それによる息切れが激しく、全く走れなくなってしまいました。
練習さえもままならなくなったものの、無理して一年間続けました。
しかしタイムは落ちる一方で記録が落ちていくことが耐えられず、陸上を続けることを断念しました。
タイムが伸びないならばそれ以上マラソンを続ける意味はなく、マラソンを続けられないならば生きている意味がないと思うようになりました。
それからというもの、彼女は普通の女子高生と同じようにアルバイトをしたり、友達と遊び回るようになりました。
しかし親は厳しかったため、すぐに親と衝突するようになりました。
両親は凝り固まったエリート志向の持ち主であり、早稲田や慶應といった難関私立への進学率が高い学校以外行っても意味がないと思っていました。
そのため、マラソンに打ち込まなくなると、彼女に「もう学校をやめてしまえ」と言われるようになりました。
喘息でマラソンを断念せざるを得なかったことも理解されず、意見が衝突するといつも怒鳴られ殴られ、家の恥だとののしられました。自分の思想以外に極端に排他的であり、今でいうなら「毒親」という部類に入ると言えるでしょう。
マラソンがなくなり、友達と遊び回るようになったのも無理はなかったでしょう。
彼女が育った時代はバブル崩壊後の不景気の真っただ中であり、将来に対して希望が見えたことはなく、ただマラソンだけが頼りだったからです。
彼女にとって大人というのは、引かれたレールの上を走り続けた人たちでした。
彼女にとって父親は、高校を卒業して大学に行って就職しただけの人でしたし、彼女の母親は結婚して退職した人でしかありませんでした。
しかし、彼女の時代はよく言えば自分で選択する自由がある(悪く言えば誰も導いてくれない)時代となりました。
彼女も選べるだけに悩みました。
世は不景気で大学に行ってもその後は保証されていません。
男に頼ろうとする友達は多かったのですが、当時は銀行員であれ社長であれ、いつ転落するか分からない時代で、経済的に安定している男性を頼りにすることもできません。
マラソンを失うと何に向かえばよいか分からなくなり、混乱してしまいました。
両親は一流大学への進学を熱望しましたが、それは拒否しました。やりたい勉強もないのに高い学費を出して学校に通う気になれなかったのです。
または、頭が固く自分を否定する親への反発もあったのでしょう。
親の古い価値観は今後はすたれていくものであり、現実的な物ではないのではないか・・・そのような気持ちが根底にありました。
なんとなく女優にでもなれたらいいと思い、また自分の店を持ちたいという気持ちもあり、サービス業を学ぶために料亭に就職しました。
三代目UBUに契約
18歳で地元の料亭に就職しましたが、料亭の世界は甘いものではありませんでした。
注文を間違えただけでオバサンから怒鳴られる世界です。
着物を着ての仕事は18の娘には難しく、またオバサンたちは若い娘と一緒に働くことに違和感を感じ、異物を排除するように何かと彼女を攻撃するようになりました。
女だけの世界ならではの現象ともいえます。
イジメにストレスを感じ、毎日爆発寸前のまま働いていました。
大学に通って遊び回っている友達がうらやましくて仕方ありませんでした。
店をもつことを目標として就職したのですが、夢は女優になる事でした。
女優とお店を持つという全く近くない二つの目標を持っていたことは謎です。
私も昔は細菌学者かライターのどちらかになりたいと思っていたので似たようなものですが・・・。
ドラマや映画で活躍するような女優にはなれないと諦めかけていたため、所詮は夢でしかありませんでしたが、それでもカメラの前で演技をしている自分を想像することで嫌な現実を忘れることができました。
しかし、憧れだった松たか子は芸能人の娘であり、松嶋菜々子はキャンペーンガール出身であり、何のコネも実績もない自分が女優なんかになれるものかと半ば諦めていました。
そんなとき、新宿アルタ前でいきなりスカウトを受けてしまったのです。
「女優をやってみない?すごく楽しいし稼げるよ」と言われたのです。
どうしても女優になることを諦められず、喉から手が出るほどコネが欲しかった彼女にとって、夢のようなことでした。
聡明な彼女は盲信するのではなく、どうせ裸じゃないかと疑いましたが、女優という言葉に反応してしまいました。
男友達の彼女がAV女優をしていたため話を聞いてみようと思い、その人に会って一緒にお酒を飲みました。
「セックスを売り物にして悲しくなりませんか?」と質問してみると、「好きでやってるから楽しいよ」と言われました。
彼女にとっては、偏見や好奇の目で見られることは辛いに違いないと思っていたため、衝撃的な返答でした。
AVや風俗には偏見がありましたが、堂々と好きと言える友人もいることだし、話だけでも聞いてみようと思うようになりました。
事務所に行くと、社長は「女優と聞いていると思うけど、AV女優です」とはっきり言いました。
本当の女優だったらいいなと思っていたため、予想通りだったとがっかりしましたが、とりあえず宣材写真は撮影しました。
記念に写真だけ撮ってもらい、料亭の仕事を続けようと思っていました。
所詮女優など夢手しかなかったのだ、もう終わりにしよう・・・
そう思っていましたが、帰ろうとすると事務所の社長は彼女の腕をつかんで離しませんでした。

というのです。
こんなことを書くと強引な社長だ、とんでもない事務所だと思うかも知れませんが、彼女がスカウトを受けた事務所はまっとうな事務所です。
仕事内容も社長が言う通り「簡単に契約できないもの」であり、伝説的AV女優の森下くるみも輩出したソフト・オン・デマンドの名物レーベル『UBU』の12本契約でした。
半ば無理矢理TOHJIRO監督のもとに連れていかれましたが、社長以外には「君なんか絶対に無理。UBUに受かるわけがない」と言われました。
そういわれると生来の負けず嫌いに火が付き、簡単じゃないのはわかっているし大変だと言われたからこそやってやろうと思うようになりました。
面接だけでも頑張ってみて、UBUに受からなかったらAV女優なんかやめる、受かったらやろうと決めました。
AV女優は不特定多数の男性に興奮を与える仕事ですから、ルックスもスタイルも抜群に綺麗な女性だけの世界だと思っていました。
彼女は自分の外見も内面も自信がなかったため、もしAVに出ても自分が売れるとは思っていませんでした。
だから面接も受からないのではないかと思っており、UBUの契約が取れなければAV女優をやったところで売れないと考えたのです。
しかし、契約が取れればどこか向いているところがあるのかもしれません。
自信はありませんでしたが、彼女は見事、三代目UBUとして契約を取ることができました。
料亭のいじめられっ子の小娘が、AVのトップの世界で働く切符を手にしたのです。
契約は取れたものの本当にAV女優になるのかどうか、彼女は深く悩みました。
せっかくのチャンスを逃して、向いているとは思えない料亭の仕事を続けるのは我慢ならないとも思っていたため、人生の最大の選択に直面することとなりました。
AVの世界から芸能界に行きたいと思って活動する女性もいますが、彼女の活躍した2000年代初頭はそのようなことはほぼあり得ないことでした。
その自覚はあったのですが、今しかできないことに挑戦してみる価値はあるとも思っていました。
しかし、一番気になるのは親のことです。
古い道徳を信奉している彼女の親が許すはずがありません。
父親は有名企業に勤めるエリート志向で母親も大して変わりません。
AV女優をしていることがバレたならば、勘当されることは間違いないでしょう。
彼女は社長に、親に言えない仕事だからできないと言いました。
契約は取れたものの、やっぱりできないからと猛反発したのです。
すると社長は「なら今から親に言いに行け」と怒鳴り始めました。
彼女も心の底では毎日同じことの繰り返しをするのに疲れていました。
AV女優になれば何か変わるかもしれないと希望も感じていました。
決まった時間に出勤してイジメられる毎日と決別できるだけでも意味がありました。
また、UBUに受かったらやるという決意もありました。
彼女は決心し、親を部屋に呼び出してAV女優になると決意を伝えました。
当然母親は錯乱し、泣いたり殴ったりでめちゃくちゃだったため、彼女は家出同然で一人暮らしを始めました。
試みにAV女優になったら失うものをノートに列記してみると、親、恋人、友達、結婚などであり、それまでの人生で大切にしてきたものそのものでした。
やましいとは思いませんでしたが、周りからみんないなくなると思うと涙がこぼれましたが、それらを天秤にかけてもAVに挑戦する気持ちを諦められませんでした。
当時付き合っていた彼氏にも嫌な思いをさせると思い、嘘をついて別れました。
覚悟を決めたのです。
AV稼業に苦しむ
最初の仕事は1999年6月のことでした。
北海道の稚内の湿原での仕事で、三代目UBUとして話題を呼び、雑誌の取材も殺到しました。
注目度は非常に高く、何人もの人の前で全裸にならねばならないことに緊張しました。
裸になると外は寒かったのを覚えていると言います。
デビュー当時は仕事は非常に楽しく感じていました。
毎日緊張で頭がおかしくなりそうではありますが、何もかもが初めてで新鮮なことでした。
また、「AV女優になる」と親や友達に啖呵をきって出てきただけに、精神的に勢いもあったのでしょう。
それでも初めて会う男性とセックスをすることへの抵抗は消えることなく、自己嫌悪に何度も陥りました。
UBUとの12本契約できたことをすごいことだと洗脳され、誇れる仕事だと思い込み、12本契約だけに誇りを感じてもいましたが、想像していたよりも仕事は辛く、新鮮さがなくなると辛さだけが残りました。
お金はたくさん稼げますが、だからと言ってほしい物があるわけでもなく、貢ぐ男性がいるわけでもありません。
また、彼女の場合は曖昧な理由で始めています。
それだけに割り切ってセックスすることができず、苦しさを感じました。
しかし、やると決めたら絶対に最後までやり通すのが彼女の性格です。
どんなに辛く苦しくとも続けるほかありませんでした。
AV女優や風俗の仕事を始める女性たちのほとんどは、誰もが最初は抵抗を感じます。
しかし、最初は嫌でもそのうち慣れてしまうのがほとんどであり、仕事としてのセックスが単なる肉体労働として感じられるのです。
しかし、彼女は全然熟れることがなく、マイナスの気持ちでセックスを繰り返して精神的負担を感じていました。
料亭のオバサンのイジメのほうがまだマシだったほどです。
ストレスが溜まるというところを通り越し、頭がおかしくなりましたが、現場ではそのような気持ちは出せないため無理矢理笑顔を作って仕事をしました。
知らない人とのセックスに抵抗があるほか、彼女は自分の裸に自信がなかったことでもストレスを感じていたのでしょう。
経験人数は一ケタだったものの現場スタッフからは「うぶじゃない」とささやかれるようになり、剛毛と言われることもありました。
コンプレックスの塊ですが、裸ではどこも隠すことができません。
気を抜くとすぐダメになってしまうため、現場では強気で押し通し、家に帰ったらボロボロという毎日でした。
一回の撮影をこなすと一週間は立ち直れないという精神状態でした。
また母親からは「あなたのことが心配で体を壊してしまいました。早く帰ってきてください」というハガキも届きました。
彼女が4本目の撮影を終えたころのことであり、森下くるみと比較すると売上が圧倒的に良くないということにも苦しめられました。
最初はうぶ・清純派で売り出していたものの、うぶでは売れないと分かると方向転換してうぶじゃないとして売り出されていました。
次第にAV女優になったことを後悔するようになりました。
彼女は精神的に非常に辛い状況に追いやられましたが、12本をやりとげることだけを目標に頑張り続けるのでした。
AVと恋愛
彼女はAV女優をしている間は恋人を作らないつもりでいたのですが、寂しさや苦しさを紛らわすために恋人がほしいと思うようになりました。
家出の際に友達とも縁を切っていたため孤独だったものの、渋谷で声を掛けられた4歳上の大学生にほれ込むことになりました。
出会いはAVを初めて間もない頃でした。
彼氏にAV女優をしていることがバレてAVを辞める女性は少なくありませんが、それは多くの場合彼氏がいる状態でAV女優を始めた結果、隠していたことなどが原因となってトラブルになるのです。
そのため、最初からAV女優であることをカミングアウトしたうえで、受け入れてくれる男性と付き合えば問題ありません。
声を掛けきた彼は受け入れることができる男性であり、彼女は男らしさにほれ込んでしまいました。
彼女のそれまでの経験といえば大部分がマラソンですから、本気の恋愛をしたことがなく、心の底から愛したのは初めての経験でした。
今までにない自分が現れ、毎日電話をし、電話の来ない日は浮気を疑うほどの熱の入れようでした。
しかし、熱を入れるあまり「AVを認める彼は本当は愛情がないのではないか」「普通は嫌と思うはず」などと疑いを抱くようになりました。
AVを受け入れてくれる男性が恋人の条件だったにもかかわらず、結局は受け入れてくれた彼氏を疑うようになり、恋愛か仕事かで悩んだ結果仕事を選ぶことにしました。
そんなことも、これからAV女優をする女性には参考になるかと思います。
彼女は4本目の時点で壊れるほどのストレスを感じたものの、見事当初の目標であった12本の出演をやり遂げました。
しかし、それ以降も単体女優から企画女優に変わって多数のセルビデオに出演しました。
辛くてやめたいと思った時期もありましたが、AV女優になってからの人間関係が好きだと思えるようになったことが続ける動機になりました。
セックスにはなれないものの、朝からプロのAV女優として現場にいることで自分の場所が得られることに満足するようになりました。
AV女優としての働いている彼女と本名の彼女は違うと割り切れるようになったのです。
彼女のように人生を変えたいという思いからAV女優になる女性は多いものです。
しかし、中には理想と現実のギャップに悩んで苦しむAV女優もいると知っておくと良いでしょう。
今、君にぴったりの仕事がある。面接だけでも行ってみないか。
AVの中でもトップレベルの仕事だ。そう簡単に契約できないけど、君ならやれるかもしれない。