AV業界小話・村西とおるという監督
「村西とおる」という監督を知っていますか?
AV業界を変えた西村とおる監督について見ていきましょう。
80年代の女優のギャラ
AV女優のギャラはどのようになっているのでしょうか。
AVを制作する際には、メーカーがプロダクションの女優にオファーをかけ、撮影AV女優のギャラはまず全額がプロダクションに支払われます。
メーカーからAV女優に直接支払うことはなく、基本的には必ずプロダクションを経由して支払われます。
この時、メーカーがプロダクションに支払った金額のうち、どれくらいがAV女優に支払われるかは分かりません。
プロダクションは何の許認可も管轄もなく、法律外で運営する存在であるため、メーカーから支払われた出演料の何割を女優に支払うというような規定は一切ないのです。
同じ性産業において、風俗業界では平均で50~60%が女性の取り分になるものですが、それと比較するとAV女優の手にする金額は少なくなっています。
優良プロダクションならば折半、一般的なプロダクションならば60%、悪質なプロダクションになると70~80%を持っていくこともあります。
上記の通り一切の規定がないため、ギャラの支払い方針はプロダクションによって異なります。
例えば、女性の管理がうまく、所属するAV女優との信頼を築いて長く活躍してほしいと考える優良プロダクションは折半としていることが多いです。
一方、売れる女性のスカウトに自信があり、たくさんの新人を発掘できるプロダクションでは、女優には少ししか与えずに使い捨てることもあります。
使い捨てる意識があるのですから、少ししか支払わず、辞めたければ止めればいいと考えているのです。
AV業界のクリーン化に伴ってそのようなプロダクションは少なくなっているものの、いまだに存在します。
まず、AV初期にあたる80年代女優の出演料は1本あたり20~30万円くらいでした。
月あたりの撮影本数は女優によって様々ですが、平均して4本くらいです。
出演料はプロダクションと折半にするとして、1本あたりの平均的なギャラが25万円であったとするならば、80年代のAV女優の月収は50万円程度という事になります。
これは、一般的な仕事に就く女性の倍以上の収入であることが分かります。
AV女優の獲得ルートはスカウト
ギャラは折半ですから、プロダクションにも1人当たり50万円の収入があると考えることができます。
仮に所属女優が10人ならば月の売上は500万円、年商にして6000万円となります。
所属女優が10人くらいのプロダクションならば個人経営で経営主がマネージャーを兼ねることもできますから、かかる経費といえばスカウトマンへの報酬くらいのものです。
今でこそ自らプロダクションに応募してくる女性が増えましたが、当時はAV女優の発掘といえばスカウトばかりです。
小さなプロダクションならば社長自らスカウトすることもあれば、フリーのスカウトマンから預かったり買い取ったりすることによってAV女優を募っていました。
スカウトマンから女性を引き取る際には預かりと買取の2種類があります。
預かりというのは、売上げのうち規定のパーセンテージをスカウトマンにバックマージンとして支払う形態です。
現金をその場で欲しがるスカウトマンが多いこと、女性の管理が面倒であることなどから、基本的には買い取りが好まれていました。
シビアなプロダクションになると、そのAV女優が単体(メーカーとの専属契約)として働けるとなると、買い取り額を支払うという事もありました。
買い取り額は女性のレベルによって変動しますが、平均して20万円くらいです。
売れそうな女性の場合には、すぐに買い取らなければ他のプロダクションに行ってしまうこともありますから、買取と預かりはその時々で変わります。
この流れが変わるのは、1988年にAVの帝王と言われる村西とおる監督がダイヤモンド映像を設立したところからです。
村西監督もたくさんのスカウトマンを使っていましたが、その中の一人に伝説として語り継がれる凄腕のスカウトマンがおり、そのスカウトマンが有望な女性を片っ端からスカウトして村西監督のもとに連れていくのです。
その結果、他のプロダクションが契約できるのはイマイチな女性ばかりという事になり、スカウト経由であまりよい女性が集まらなくなりました。
特に、村西監督は女性の素材だけではなく、有能なスカウトマンとの付き合いも大切にしたため、売れそうにないと思える女性までどんどん買い取っていきました。
この結果、質の高いAV女優がどんどん村西監督のダイヤモンド映像に流れるというシステムが出来上がりました。
AV業界を変えた村西とおる
「黎明期のAV女優の出演料が20~30万円って少なくない?」と思った人もいるでしょう。
確かに、初期はそのくらいでした。
しかし、村西監督のもとに多くの女性が集まり、村西監督がギャラを釣り上げたため、AV女優のギャラは上がっていくこととなります。
他のメーカーはメーカー同士で横のつながりを持っており、ギャラが高騰しないようにAV女優のギャラは20~50万円程度に抑えていたのですが、村西監督はこれを壊すのです。
つまり、AV女優のギャラを高騰させることによって、女優を独占するという戦略です。
専属女優制度を作ったのも村西監督でした。
それまでは1つのメーカーで1つのブランドしか出さないという風潮がありましたが、村西監督は1つのメーカーでいくつものブランドを作ったのです。
収録時間にしてもそうです。
周りのメーカーが40分を保っている時に村西監督は50分にする、周りが50分の時には1時間にするという塩梅で、収録時間を増やしていきました。
このほか、AVがパッケージビジネスになったのも村西監督によって起こされた変革です。
パッケージを別撮りにするということを始めました。
当時のAVはパッケージは重視されず、中身で勝負するというものでしたが、それを変えてしまいました。
ちなみに、ダイヤモンド映像というのはプロダクションではなくメーカーです。
メーカーが女優を管理してギャラを支払うのです。
プロダクションに所属した場合には、「メーカー→プロダクション→AV女優」という流れで支払われますが、ダイヤモンド映像の場合には「メーカー→AV女優」と支払われるのですから、プロダクションによって搾取されることがなく、AV女優のギャラは2~5倍に増えます。
そうなると、AV女優たちは当然ダイヤモンド映像に出たいという事になります。
なにしろ、100万円以上のギャラが支払われるのです。
このような方針によってダイヤモンド映像はクオリティの高い女優を独占し、年商100億円を越え、市場の35%を占めるまでに成長しました。