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日本のAVが生み出したぶっかけ

”ぶっかけ”とは男性が射精することによって女性の顔などに精液をかける行為のことです。

日本のAV業界で生み出された”ぶっかけ”が今では世界に広まっています。

世界に広まったぶっかけ

ぶっかけ

「ぶっかけ」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

ぶっかけうどんなどといった料理に使われる言葉でもありますが、ここで取り上げるぶっかけは性行為の一環としてのぶっかけです。

これは、男性が射精することによって女性の顔などに精液をかける行為のことを指します。

ぶっかけという手法は日本のAVで生み出されたものですが、今やアメリカやヨーロッパのハードコアポルノの一ジャンルとしてもよく知られるものとなっています。

海外ではBUKKAKEと表記されており、読み方は「ぶっかけ」ではなく「ブッカキー」と読まれるようです。

ぶっかけが海外でどのくらい浸透しているかを知るためには、インターネットで検索してみるとよいでしょう。

「BUKKAKE」というキーワードで検索をすると、非常に多くの海外のアダルトサイトがヒットします。

AVにおけるぶっかけという行為・ジャンルは、上述の通り男性の精液を半裸や全裸の女性にかける行為のことです。

しかも、とくにぶっかけというジャンルで撮影が行われる場合には、女性の顔や体に精液をかける男性は一人ということはあまりなく、多くの場合数名から数十名といった複数の男性が次々と精液をかけていきます。

このシーンをクライマックスに用意しているスタイルのAVをぶっかけというのです。

もちろん、ぶっかけがBUKKAKEとして海外に広まっていく前提には、AVのぶっかけがあります。

日本料理などで用いられるぶっかけが海外で誤用されたのではなく、日本のAVのぶっかけが欧米に輸出された結果、BUKKAKEが定着したのです。

インターネットでBUKKAKEと検索するとたくさんの海外アダルトサイトがヒットすることから浸透の度合いが分かりますが、これだけでは一般大衆への浸透の度合いを知るには不十分です。

しかし、BUKKAKEは確かにSUSHIやSUKIYAKIやTSUNAMIなどといった日本語と同じように、一般大衆に浸透しています。

それを示す事実として、メジャーリーグでヤンキースのバッターとして松井秀喜が出場した際、対戦相手のファンから「BUKKAKE!」というヤジを飛ばされたことが挙げられます。

松井選手がこのようなヤジを飛ばされた理由はいくつか考えられ、一つには単に松井選手が日本人だったからそのようなヤジが飛ばされたというものですが、もう一つには松井選手がAVファンであることが理由とされています。

松井選手は大のAV好きであり、それを公言しており、日本のAVメーカーが主催するコンペティションに特別審査員として指名されているほどです。

対戦チームのファンは、松井選手のこの趣味を知ったうえで、BUKKAKEとヤジを飛ばしているのではないかと思われます。

野球を観戦しに来ていた一般のアメリカ人がこのようなヤジを飛ばすことから、定着ぶりがうかがえます。

また、日本のAV業界や欧米のポルノ業界は、ぶっかけという言葉を普及させるようなはたらきかけを一切行っていなかったにも関わらず、このような普及をしたことは衝撃的でした。

 

 

ぶっかけの誕生の経緯と海外進出

ぶっかけ

では、そもそもぶっかけはどのようにして生み出されたのでしょうか。

では、アメリカでどのようにしてぶっかけが定着していったのでしょうか。

英語版のWikipediaを見てみると、アメリカのポルノ市場でぶっかけがどのように広まったかが書かれています。

それによると、ぶっかけが日本で(つまり世界的に観て)はじめて登場したのが80年代後半のことです。

日本のポルノは市場に流通する前に検閲を受けなければならず、性器にはモザイク処理が施されます。

そこで、性器を見せない状態で視聴者にいかに性的興奮を与えるかとして工夫された結果、性器ではなく精液でそれを表現することが生み出されました。

ぶっかけを用いて最初に商業発売したAVは、1986年12月に発売された『マスカットノート』であり、主演は松本愛子でした。

当時は「ぶっかけ」ではなく、主に「顔射」と呼ばれていました。

それが、90年代後半にアメリカのポルノ製作者に知られ、欧米に浸透していくこととなります。

その行為と用語が「ぶっかけ」と呼ばれるようになったのは1998年のことであり、ディレクターの松本和彦による命名でした。

Wikipediaの記述には誤りが含まれることがありますが、この記述はほぼ間違いないものです。

ぶっかけをアメリカに持ち込んだのは松本和彦であり、当時のAV業界の動きをつまびらかに見てみると、実際に松本和彦はぶっかけを用いたAVを携えてアメリカに赴いている様です。

松本和彦は現在もフリーのAV監督として活躍しています。

日本のインディーズAVを商業化するのに多大な功績のある人物です。

ぶっかけを開発しただけのことはあって、松本監督はザーメン関連の事業を色々と行っています。

例えば、1994年6月には、東京の渋谷道玄坂にミルキーショップ・エムズを開業し、ここは一部でザーメンマニアの聖地と言われるビデオ販売店です。

このビデオ販売店では、今や当たり前となったものの当時は過激であった行為を行うAVを発売してヒットさせました。

その行為とは、大勢のAV男優が一人のAV女優にフェラチオを迫り、口内発射した精液をAV女優が飲み干すというものです。

このシリーズの有名な物では、林由美香が50人のAV男優の精液を飲み干すというものであり、当時からのAVファンであれば「‘95 夏の陣」のタイトルを知っているかもしれません。

このAVは体か1万5000円という高価格であるにもかかわらず、3000本以上を売り上げました。

このような実績を持っていた松本監督は、1996年7月にアメリカのハリウッドに行きました。

この時、ハリウッドでは全世界のポルノメーカーとディーラーが集まるVSDAというAVの見本市が開かれていたのです。

松本監督は、自身の出店ブースに「BUKKAKE」というキャッチコピーを使って出店しました。

なぜこれがウケたかといえば、まずは語感でしょう。

現地では「ブッカキー」ですが、この語感がまず注意を引きました。

そのとき持ち込んだAVは、南口るみね主演の『‘95 決戦』でした。

「なんだ?」と思って見てみれば、AV女優がAV男優100人をフェラチオして精液を飲むという内容であり、それを映写したのでした。

それまでは日本のAVがVSDAのような国際コンベンションに出展するのは初めてのことでしたが、海外のポルノにはない過激なスタイルであったため、ブースには大勢の関係者が集まりました。

翌日はFBIまで来て「これは虐待だから上映するな」と言われるほどの騒ぎになりました。

しかし、FBIまで出動するほどの大騒ぎでしたが、それがためにタブロイドに掲載されるなどして大いに宣伝となりました。

出展の反響は非常に大きく、松本監督はその後アメリカやスペインのポルノメーカーに招かれて作品のディレクションなどを行うようになりました。

もちろん、そうして作られたビデオのパッケージには「BUKKAKE」のフレーズが使われました。

 

 

海外のポルノ業界

ぶっかけ

ここで、当時の欧米のポルノ業界がどのようなものであったかを簡単に見ておきましょう。

当時の欧米のAVは、MTV封のおしゃれな映像で魅せる作風が人気を集めている一方で、1993年頃からは一人の女優に対して複数の男優が絡む乱交スタイルが注目を集めるようになっていました。

ちなみに、この様なスタイルのAVを「GANG BAN」といいます。

象徴的な作品を挙げるならば、1993年にはポール・ノーマン監督が作った『The Orgy』という作品がありますが、この作品は男優と女優を合わせて40人もの男女が乱交するという内容のものです。

また、同時期に『Gangbang Girl』というシリーズが製作され、2007年までの間で計37本が製作されましたが、この作品でも4人の女優が数十人の男優を相手に乱交を繰り広げるというものでした。

特に、このシリーズの初期の作品では、男優が射精した精液を女優が飲む精飲プレイが話題となりました。

とはいえ、表現力では日本のAVの方が優れていた(少なくとも過激の度合いでは)といえます。

当時の欧米のポルノ業界には、まだ松本監督のように女優:男優=1:100といった極端な演出は存在しなかったからです。

そこへ、松本監督の持ち込んだ『‘95 決戦』が持ち込まれ、受け入れられることとなりました。

いうなれば、当時の欧米には「GANG BANG」が存在したことによって、「BUKKAKE」を受け入れる下地はできていたともいえます。

もっとも、当時の「GANG BANG」はドキュメントタッチで撮影されたものがほとんどであったのに対し、松本監督の作品は様々なアングルからの短いカットを繋いで紡ぎ出された作品であり、完成度が非常に高く、エンターテイメント性ではGANG BANGとは雲泥の差があったと言っていいでしょう。

したがって、松本監督の持ち込んだBUKKAKEは行為の過激性で驚きを与えて広まっていったというよりは、綿密で完成度の高い日本的な(緻密な作業を得意とする日本人らしい)作品として受け入れられたという側面も大きいと考えられます。

この証拠に、欧米に進出した日本のAVは単なるポルノではなく、JAPORNO(ジャポルノ)、つまり特に「日本のポルノ」として好感をもって受け入れられることとなったのです。

 

 

海外ポルノ業界との繋がりが逆輸入ビデオの温床になる

ぶっかけ

1997年のこと、アメリカのポルノ業者から日本の複数のAVメーカーに対して、素材を売ってほしいというオファーがありました。

これに応じたのが桃太郎映像と北都の2社でしたが、これが後々逆輸入という形で日本に無修正ビデオが流入してくる流れを作ります。

つまり、アメリカでは無修正ビデオの製作が法律違反ではないため、日本人がアメリカで無修正ビデオを製作して発売し、それを日本に持ち込んでコピーしたものを流通させるという方法です。

このような裏ビデオを逆輸入ビデオと呼ぶこともあります。

現在の裏ビデオ市場には様々な商品が流通していますが、このきっかけは1997年にさかのぼるのです。

当時、逆輸入によって国内で流通した北都の裏ビデオは「Bukkake Gangbang」というシリーズ名で流通しました。

この事実が象徴的ですが、欧米では日本のAVは「BUKKAKE」と共に広まっていったのです。

その原点が松本監督による日本の過激なAVであり、国際コンベンションに端を発するものだったのです。

 

 

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