AV女優になるんだったら知らないとヤバい!AV業界の変化
最近はAVに対する社会の目も比較的寛大なものになりつつあり、倫理観の変化や不景気等の様々な要素が絡むことによってAV女優を目指す女性も増えました。
プロダクションに応募する女性は増える一方で倍率は25倍ともいわれます。
このような盛り上がりを見るとAV業界はさぞかし女性に対する待遇はよいのだろうと思われがちですが決してそのようなことはなく、出演料が3万円以下と言うケースもあるほどに業界は低迷しています。
見出し
AV女優がハイクオリティになっていく
完全なデフレ状態で低迷している業界はだれもが忌み嫌うのが普通であるにもかかわらず、業界に挑戦する女性は相変わらず非常に多く、なぜこのような女性がと目を疑うようなハイクオリティの美女がAV女優として活躍しています。
かつてはこのような流れが起きることは考えられなかったものです。
以前ならば、AV女優を目指す女性といえば人生がうまくいかずに堕ちるところまで堕ち、お金に困窮してにっちもさっちもいかなくなり、止むを得ず出演を決めていたのですから、まず出演の動機が違います。
社会の最底辺の女性たちがAV女優を目指していたのです。
30年の歴史の中で様々な変化があり、それによってこのような流れが起きました。
AV女優がハイクオリティになった背景
このようなAV業界の構造が大きく変わってしまうような変化が起きたのは90年代後半からです。
レンタルビデオ主流の時代からセルビデオ主流の時代へ、そして今ではインターネット普及の時代になるにつれてインターネット配信のAVも非常に多く、トップAV女優はアイドル的な要素が非常に増えました。
このように販路が変化することは業界のあり方に大きな影響をもたらしています。
現在のAV業界はデフレ化の波にあおられていますが、90年代後半より以前は社会的に見てもエロ業界が非常に活気がありました。
例えば、エロ本は今の20倍は発行されていましたし、エロ編集者も今の30倍はいたといいます。
AV業界もレンタル全盛の時代にはユーザーも500円くらいの出費で済むためにパッケージをみてよさそうだと思うものを借りるのですが、98年ごろからはセルビデオが全盛になり10倍くらいの値段がするためユーザーも中身を求めるようになります。
パッケージだけで判断されているうちはパッケージ写真撮影の技術が優れていれば売上を伸ばすことができましたが、今はそうはいきません。
いくら撮影テクニックや編集技術で女優を美人に映したところで、映像として収められている女優がハイクオリティでなければ売れなくなったのです。
他にも多くの変化がありました。
例えば、ユーザーがどれだけエロいか、どれだけ抜けるかということばかりを要求した結果、クリエイター系のAV監督は撮影できない状況が生まれました。
つまり、映像の細部や演出にこだわりぬいたクリエイティブな作品作りができなくなったのです。
それまではパッケージ写真が素晴らしければ手抜きをした作品でもこだわりぬいた作品でも売れました。
クリエイティブな監督が自分の思うままに作品を作ることができたのです。
しかし、業界がセルビデオ全盛になってユーザーがAVの中身にこだわるようになってくると、とにかくどれくらい抜けるか、どれくらいエロいかということのみが求められるようになりました。
こうなると、エロをある程度度外視したクリエイティブな作品は生き残ることができなくなります。
このようにして、作品はその中身がいかにエロい構成になっているか、そして視覚的興奮をもたらしてくれるAV女優がいかにクオリティが高いかと言うことが求められるようになりました。
その証拠として、レンタルビデオ時代の単体女優は挿入せずにセックスをしているように見せかける疑似本番を行っていたのに対し、セルビデオ時代からは本番が行われるようになったのです。
時代はセルビデオへ
AV女優を目指す女性のレベルがハイレベルになる分岐点として、よく注目されるのが小室友里と森下くるみです。
小室友里はレンタルビデオ最後の女優であり、セル最初の女優が森下くるみです。
ここでAVの形態がレンタルビデオからセルビデオへと完全に移行し、内容が重視されるセルビデオによって長瀬愛、堤さやか、桃井望などの今も有名なAV女優たちが活躍を見せていきます。
この時に、AV女優たちのルックスやスタイルにおけるクオリティが急上昇していったのは間違いありません。
また、この時に内面的なクオリティも上昇していきました。
なぜならば、レンタルからセルへと移行するにあたって本番ができる女優が求められるようになると、本番はしたくないという女優や、プライドが高かったりわがままだったりして協調性に欠け、エロい作品作りの協力できない性格の女優はどんどん淘汰されていったからです。
したがって、レンタル時代にはAV女優たちは撮影現場で女王のようにふるまってわがまま全開でも通用したのですが、今の現場では協調性があり、わがままをいわない“いい子”しか通用しなくなってきているのです。
内面の変化は働き方にも着実な変化をもたらします。
あれはしたくない、これはしたくないとわがままをいう女優が通用しなくなると、セル時代の女優たち(特に企画単体女優たち)は「なんでもやります」という姿勢で朝から晩まで、毎日のように働くようになりました。
様々なジャンルのAVに出演し、今でこそある程度受け入れられていても当時はアブノーマルとされていたようなジャンルや行為にも積極的に出演していました。
また、無修正の裏ものにもどんどん出演する女優も増えてきて、そのような女優たちが人気と知名度を獲得していきました。
このような変化によって様々なエロが普及し、それ以前とは比べ物にならないほどエロが身近になりました。
作品の内容も飛躍的に向上した
AVのクオリティは徐々に上がって行ったのですが、圧倒的な上昇がみられたのはこれ以上に景気が悪くなってきたからです。
特に2000年初頭にはAV女優たちに対する需要はたくさんあって、ルックスやスタイルが悪い女優でもある程度働く場所はありました。
しかし、世の中が不景気に傾くとそれらの場所が徐々に減少していき、メーカーや制作者も「結局は、いろいろと企画を練っても出演する女優がブサイクでは売れない」という結論に至りました。
また、裸に対する意識が変化してAV女優に自ら志願してくる女性が増えてきて過剰供給の状態になると、メーカーや制作者はそれらの大勢の女優のなかからクオリティの高い女優を選ぶようになりました。
出演者を選ぶ時、2人の中から1人選ぶ場合と、10人の中から1人を選ぶ場合とでは、後者の方がAV女優のクオリティがハイレベルになることは疑いようもないことです。
2000年代から現代にかけて、最近の約10年間の間に法人や人材は厳しい競争にさらされ、競争力のないものがどんどん淘汰されていった結果、現在のAV業界で生き残っているのは本当に能力が高いものしかなくなりました。
AV監督の能力も非常に高くなり、抜ける作品をいかに撮影するかと言うことに非常に長けています。
このことは90年代と現代のAVを見くらべてみれば明らかです。
90年代はとりあえずセックスが映っていればいいと言うような内容のものも多かったのに対し、現代のAVはいかに抜ける作品にするか考え尽くされた内容になっています。
求められる基本的なスペックに付加価値が求められる
以上のようなAV業界の流れをうけ、AV女優に求められるものはどんどん向上していきました。
AV業界の流れに対応した女優が多数出演を果たし、それらの女優自身が業界のレベルを挙げているとも言えます。
現代のAV女優に求められるクオリティは、ルックス・スタイル・性格を基本として、それ以上の性的センスや学歴・経歴なども加味した総合的なスペックが求められます。
例えば、最近のこの流れを象徴するものとして、銀行員からAV女優になった女性がいます。
今の時代の銀行員などはなりたくても到底なれるものではなく、就職活動中の学生からは垂涎の的のような職業ですが、彼女は他の職業に転職をするような気軽さでAV女優を選んでいます。
これは、アウトローな業界への漠然としたあこがれと言うものではありません。
育ちや経歴がよい女性に見られる一定の傾向として、何かに反発する気持ちや憧れからそれらの職業を選ぶ人もいないわけではありません。
しかし、今ではAV女優が普通の仕事として選ばれていることは注目すべきです。
かつては様々な事件を起こしたこともあってAV業界はブラックな世界と見なされていたのですが、それらの事件を乗り越えてクリーン化したAV業界では今やかつてのような事件が起こる危険性は非常に低く、職場環境は整備されて無駄がなく、現場は安全になっています。
そして、クリーン化によってAV女優を商品としてではなく大切にする風潮も出てきたため、AV女優たちは安全な環境で承認欲求を満たしながら、やりがいを感じて働いているケースが非常に多くなっています。
インターネット全盛の時代のAV業界
このように、AV女優はどんどんハイスペックになっていき、ある程度行きついたという感じさえあります。
さらに、AV監督の技術もあがり、作品自体は非常に優れたものが仕上がっているのです。
日本のエロ文化は世界に認められるものであり、世界的に見ても日本のAV女優のAV作品のクオリティには定評があります。
しかし、それでもAV業界の厳しい状態は変わりません。
どんどんと規模を小さくすることを迫られています。
このことの背景には、情報社会の隆盛が隠れているでしょう。
現代はインターネットをだれでも利用するようになり、スマホなどでも気軽にインターネットを利用することができます。
そして、インターネットを使えば人気AV女優のAVから、無名のAV女優の無修正AVまで、実に様々なAVを無料で見ることができます。
このような状況の中において、まずエロ本が売れなくなるのは当然のことです。
エロ本よりもエロ動画の方が何倍もエロく、それを手軽に見られる人がお金を出してエロ本を買うはずがないわけです。
AVにしてもそうで、無料動画で満足する人が多いためにAVの売上はなかなか伸びていきません。
エロ本やAVの発行数はどんどん少なくなっていき、購入者として考えられるのはインターネットなどのデジタルなものをよく使いこなすことができない、90年代からAVを見ていた中高年の人たちが考えられるほか、AV女優にアイドル性を感じたひとがファンになり、ファン活動の一環としてその女優が掲載されているエロ本を購入したり、出演しているAVを購入しているということが考えられます。
これではAV業界が厳しくなるのは間違いのないことです。
しかしインターネットの隆盛という時代の流れでもたらされた厳しさであるだけに、これを打開するのは並大抵のことでは無理です。
業界関係者も危機感をもって色々な取り組みをしてユーザーを増やそうとしています。
現在のAV女優たちがツイッターやブログでファンにプライベートを配信したり、ファンイベントなどを盛んに行ってファンの獲得に努めているのもそれらの一つでしょう。
さらにインターネット時代だからこそ、インターネットで有料のAVを配信するという取り組みも行われていますが、今のところ望みがありそうなのはこれくらいのものです。
AV女優に求められるものは超人的
以上のような業界の歴史を見てみれば、AV業界がいかに厳しい世界であり、AV女優を目指す女性たちがどのような苦労にさらされなければならないかということが分かると思います。
具体的に言うならば、ルックスはクラスで上から1~3番目くらいに数えられるクオリティがなければ難しいでしょう。
つぎにスタイルは、ウエストがすっきりしているのはもちろんのこと、バストは最低でもCカップ、できればDカップ以上は求められるでしょう。
最近のAV女優ではかつては巨乳と言われたEカップの女優がごく普通の存在であり、Eカップでは宣伝文句にはならないほどです。
今では巨乳と言えばGカップやJカップのことを指していることが多くなっています。
そのうえで性格がよくて協調性があり、AV女優としての活動に熱心に取り組むことができ、SNSやイベントも器用にこなしていく必要があります。
このように考えると、AV女優のトップを目指す女性たちは、例えばAKBなどの現代のトップアイドルよりもずっと高いものが求められていると言えます。
AKBなどのアイドルとして活動するためにはファン活動やメインとなるアイドル活動を行いますが、AV女優として活動するためにはファン活動やメインとなるAV活動のほかにも、AKBとくらべても引けを取らないルックス、AKBをはるかに凌駕するスタイルと性的センスが求められるのです。
AV女優を目指す女性は、このことをよく知った上で覚悟して目指す必要があるでしょう。
自分のルックス、スタイル、性格、性的センス、人間的魅力など自分の総合的なスペックを考えた上で、うぬぼれではなく勝ち抜いていける自信があることは大切だと思います。
もちろん、自身があっても数千人の女優がひしめくなかで勝ちあがっていくことは難しいことですし、逆にあまり自信がない女性が才能を見いだされてトップ女優に上り詰める世界です。
つまり、総合的なスペックの中には「運」の要素も含まれるのでしょう。