黒いAV業界がクリーンになるまでの流れとは?
現在、AV業界は大変貌を遂げ健全化されました。
クリーンになるまでの流れを説明します。
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AV業界の健全化
AV女優のクオリティは変わってきましたが、変わったのはそれだけではありません。
90年代から現在にかけて、AV業界は大変貌を遂げました。一言でいえば、“健全化”されました。
昔はとにかく黒く、危険なイメージが付きまとっており、実際にそういった面を持っていたAV業界が、今は非常にクリーンで安心安全な業界となっているのです。
これは多くのAV女優が実際に語っていることであり、皆口をそろえて「最初は超怖くて海外にでも売られてしまうのではないかと思っていたが、想像していたよりもずっと安全だった」と言っています。
これはAV業界が、多くの失敗を重ねながら改革を遂げた結果です。
では、具体的にどのような変化が起きたのかを見ていきましょう。
健全化までの推移
1993年 ビデオ安売王の誕生
当時はAVは個人で買うものではなく、レンタルビデオとして借りるものでした。
支払うのは数百円であり、ユーザーもそれほどシビアな目で見てはいませんでした。
しかし、93年にビデオ安売王が日本発のセルビデオ店として現れます。
そして全国に急速にフランチャイズしていき、95年には全国で1000店舗を越えました。
さらに、当時のレンタルビデオは日本ビデオ倫理協会の審査を通ったものだけが流通していたのですが、ビデオ安売王で売られている者はビデオ倫理業界を通していない自主規制のものでした。
日本ビデオ倫理協会の審査基準では、ヘアとアナルの露出を一切認めていないのに対し、自主規制のセルビデオではそれを解禁しました。
これがきっかけでセルビデオには爆発的な人気が出ることになります。
当時のセルビデオの価格は4000~7000円と高価であり、作品性はそれほど重視されていませんでしたが、それでもただヘアとアナルが露出されていると言うだけで、リリースするたびに飛ぶように売れていきました。
1998年 ソフト・オン・デマンドの躍進
今や業界最大手のソフト・オン・デマンドの躍進は98年にあります。
「お客様第一主義」を貫くソフト・オン・デマンドは、それまでのセルビデオにあった“ヘアとアナルさえ映っていればOK”という風潮を否定し、品質向上に努めました。
このお客様第一主義によって、価格は是正されて2980円となり、女性のクオリティ向上に努め、ユーザーがより満足できる内容に仕上げることに努めた結果、ソフト・オン・デマンドの人気は決定的なものになりました。
そのほかのメーカーが生き残っていくためには、ソフト・オン・デマンドと同じ路線に切り替えるほかなくなり、その結果として業界全体で女性のクオリティは上がり、品質は向上したのです。
企画単体女優の出現
このころ、企画単体という区分の女優が生まれます。
AV女優といえばかつてはレンタルメーカーがデビューさせる女優がすべてでしたが、セルビデオが広まると出演本数が多い企画女優がユーザーから支持を受け、単体を越える人気を得ると言う現象が起こったのです。
この女優のことを企画単体と呼ぶようになりました。
企画女優たちは業界で登って行くためにはとにかく出演して人気を獲得するほかないため、苛酷なスケジュールをこなしました。
数か月先までとにかく予定が埋まっていて、人気は上がって行く一方で肉体や精神はボロボロになっていったのです。
限界を感じて辞めたいという意志を伝えたところで、プロダクションが稼ぎ時の彼女を手放すことはありません。
そんなときに業界を震撼させる事件が起こりました。
2002年、桃瀬望の変死
桃井望は2001年にデビューしたAV女優で、当時の人気は絶頂でした。
しかし、2002年10月12日に不可解な死を遂げることになります。
当時付き合っていた燃える車の中で、男性と焼死していたのです。最初は無理心中かとも思われたのですが、
- 死体はなぜか素足であり靴は家に残されていたり
- ガソリンで燃やしていたにもかかわらずガソリンタンクが残されていなかった
- 運転者・車の所有者である男性が後部座席で死んでいた
- 事件の翌日に知人と会う約束をしていた
- 桃井さんには刺し傷があったのですが、そのとき使われた包丁が男性の左手に握られていた(男性は右利きにもかかわらず)
などなど、無理心中にしては不可解な点が多すぎたのです。
様々な憶測が飛び交いましたが、おそらくは他殺で間違いないでしょう。
詳しい部分は未だ謎ですが、このことをきっかけにして一部のプロダクションが持っていた暴力性は影をひそめることになりました。
当時はまだクライアントの都合を女性に矯正するような暴力性があったのですが、この事件が社会に与える影響はあまりに大きかったため、AV関係者たちは襟を正さざるを得なかったのです。
2007年、日本ビデオ倫理協会の摘発
こうして次第に健全化を続けてきたのですが、2007年にレンタルビデオとセルビデオの戦いに決着がつきます。
2007年8月23日、日本ビデオ倫理協会に対して、警視庁が強制捜査に乗り出したのです。
2007年の初めに、短い期間ではありましたが、日本ビデオ倫理協会の審査基準が甘くなった時期がありました。
その時期にリリースされたビデオにはヘアやアナルが露出され、モザイクもかなり薄いものでした。
このことによって、わいせつ図画頒布幇助の疑いで捜査の対象となったのでした。
この結果、日本ビデオ倫理協会は審査業務を終了しました。
ビデオ安売王の誕生によってセルビデオが世に出回ってから14年で、レンタルビデオとセルビデオの戦いはセルビデオの勝利で幕を閉じたのでした。
以上のような流れの中で、業界は健全化せざるを得なくなっていったのです。