AVの歴史を振り返る。時代とともに移り変わっていった業界と女優
AVの歴史は、一般に思われているよりもずっと古いものです。
時代とともに移り変っていったAV業界とAV女優について考えてみましょう。
見出し
もはやAV業界はブラックではない
AVの歴史は、一般に思われているよりもずっと古いものです。
最近の若い人たちからは、セルビデオが広まった2000年以降が始まりです。
それ以前はあるかないかわからないような状態であったとイメージしている人もいるかもしれません。
しかし、日本で初めてのAV は1981年に発売されており、そこから考えると既に30年以上の歴史があることになります。
当時のAV業界は非常に暴力性を秘めた世界でした。
そのイメージを今も引きずっており、プロダクションに対して危険な一面があると思われています。
しかし、そのように警戒されている状態ではAV業界も働き手である女優の獲得に苦労することは目に見えていたため、体質改善の努力を続けてきました。
この体質改善の流れが生まれてきたのは90年代の後半であり、この時AV業界全体で健全化の波が起こりました。
次第に怪しさは影を潜め、それに変わってエンタテイメント性が強くなってきていると言えます。
普通、AVに関心を持った女性が最初に思うのは危険な業界なのではないかと言うことです。
つまり、徹底的な性的搾取を受けてしまうのではないかと言うことです。
人気を博した元AV女優の語りを聞いてみても、AV業界に入る前は危険きわまりない業界だと思っていた人が多くいました。
無理矢理セックスを強いられ、売れなくなれば海外に売り飛ばされると思っていたそうです。
しかし、実際にはそのようなことはなく、警戒心を抱きながらも好奇心の方が打ち勝ってAV女優になった女性たちのほとんどが「先入観とは全く違い、安心で安全な世界だった」と語っています。
現在では契約以上のことを急に現場で求められたり、プロダクションから過剰な演出への挑戦を求められて傷ついたりすることはなくなっています。
身の危険が存在する業界ではなくクリーンな世界になっているのです。
このことは、プロダクションの内部を見てもよくわかります。
スタッフたちは清潔感があり、真面目で、誠実です。
撮影現場では知識・経験ともに豊富なプロデューサーが総合的な指示を行い、その指示のもとに大卒のADや若いディレクターが作品の制作に力を注いでいます。
女優はもはや怪しさや暴力性が生まれる余地がなくなった環境のなかで演技をすることを求められるのです。
そして、出演経験を重ねると言うことは彼女たちにとって成功体験を重ね、それを重ねるごとにやりがいは増していき、いっそうAV女優らしく磨かれています。
洗練されたAV業界
また、現在のAV業界は群雄割拠の時代を勝ち抜いたメーカーやプロダクションが生き残っています。
それらは一般企業化に成功しているという特徴も見逃すことができません。
一般企業化しているということは、とりもなおさず安全・安心な労働環境で運営されていると言うことです。
この労働環境が整備された経緯を知るためには、3つのポイントがあります。
ひとつはメーカー同士の競争によって内容がどんどん過激になったこと。
もうひとつはコンプライアンスから逸脱した失敗を経験したこと。
そしてユーザーの苦情・意見と過去の失敗をもとに改善したことです。
ここでは、AVの歴史を語る上で避けることができないこの3つのポイントに焦点を当てながら、移り変わってきた業界と女優を見ていきたいと思います。
ちなみに、言うまでもなくAV撮影でメインとなるのはセックスです。
これは法律的に非常に微妙なところであり、世間的には有害なものであるとされます。
内容によっては公然わいせつ罪(露出ものAV)、強姦罪(レイプものAV)、都道府県迷惑防止条例などに該当する可能性があるものです。
実際に事件になったものもあり、これらの事件はAV業界の失敗として認識され、長い間の試行錯誤の間に改善してきました。
そのため、最低限のコンプライアンスを守るべきであることは、大手メーカーから中小メーカーに至るまでよく浸透しいます。
ここからも業界がいかにクリーンになったかが分かります。
かつては「ちょっとこの内容はアウトなんじゃないの?」と思ってしまうような、法のぎりぎりのラインを狙った目立つ作品に挑戦する監督やメーカーは多かったものです。
しかし、このことは結局リターンよりもリスクの方が大きいことから、現在では全く行われなくなりました。
過去の事件
実際にアウトとなった、つまり法律ぎりぎりのラインを狙った結果摘発されたケースをいくつか見てみましょう。
まず、1999年4月には、ソフトオンデマンドが全裸フィギュアスケートというAVを撮影した際です。
屋外スケートリングで撮影したところ、公然わいせつ罪で書類送検されたことがありました。
この事件は、ある雑誌がこのAVの撮影についての感想を日本スケート連盟にコメントを求めたことから発覚しました。
そして、スケート連盟が警視庁に告発したことで事件となっています。
次の事件は、2004年1月の事件です。
公然わいせつ罪と偽計業務妨害罪で監督・女優・男優が逮捕された事件です。
埼玉県のあるマクドナルドで露出撮影をしていたところ、女性客に通報されたことで逮捕に発展しました。
なぜマクドナルドで撮影したかというとホテルで撮影するとスタジオ代がかかるためでした。
製作費が異常に低く、監督の報酬もたったの2万円程度というその当時としては異例なものでした。
この他にも2006年8月に横浜駅前で露出ものの撮影をしていたところ通行人に通報され、公然わいせつ罪で男優と女優が逮捕されました。
2008年5月にはホットエンターテイメントが渋谷駅近くの路上に停車したダンプカーの荷台でセックスする作品を制作していたところ、公然わいせつ罪で制作に携わった7人が逮捕されました。
この時、荷台には囲いがあり通行人には見えなかったのですが、覆いがなかったために高い場所や電車の中からは撮影の様子が丸見えでした。
事件が生んだもの
このようなことが事件となれば、世間はあきれた視線を向けることでしょう。
反社会的行為ではあるものの、激しい怒りをもって排撃すると言うことはなく、あきれる人の方が圧倒的に多いのです。
しかし、AV業界での認識は違います。
メーカーや制作側からしてみれば「してやったり」の気持ちが強く、すなわちもっと過激なものをと求めるユーザーの意見に応える企業努力をした勲章と捉えられるのです。
こうなってくると、各メーカーはよりぎりぎりのところを狙っていき、競争は激しくなる一方です。
もともとAVは非日常的な内容であることから、制作側としてもそのような流れが生まれることにそれほど違和感を抱いていません。
むしろ反社会性を強めることで売れる可能性が高くなることを深く認識するに至りました。
しかしこのまま過熱を続けるかに思えるこの流れも、後述する重大な事件によって収束することとなります。
夢から醒めた時にはすでに時代はコンプライアンス遵守の時代となっています。
その流れに逆行してあまりに多くのものを失うよりも、多少の売上を諦めることを選んだのです。
もし事件になれば現場スタッフ、女優、プロダクションやメーカーの代表などが実名報道されます。
撮影した作品は当然発売できなくなり、類似するジャンルまで廃盤を強いられると考えると、失うものがいかに大きいかがわかるでしょう。
非常に基本的なことですが、過激さを求めることに熱中していた時にはこの事が見えていませんでした。
頭を冷やす事件の発生が必要だったのです。
問題になりやすいジャンルとは
コンプライアンス的に問題になりやすいジャンルは大体決まっています。
盗撮、ナンパ、露出、ハードSM(時に女優が怪我するほどの)、レイプ(ガチレイプ)などです。
一昔前は盗撮AVは多かったものですが、携帯やスマホのカメラ機能が向上して社会問題化したことで迷惑防止条例に抵触します。
ナンパも路上で素人相手の行う行為であり無数の人に声をかけるため、肖像権の問題が発生します。
(普通行われるナンパものAVは仕込みの企画女優が使われていることが多く、本物のナンパをする時にも肖像権の問題にならないように顔にはモザイクがかけられています)
レイプものAVはきちんとした脚本の元に演出として行うならばよいのですが、女優の同意なしに行った場合には強姦罪になるかもしれない非常に危険なプレイです。
ちなみに、よくインタビュー中の女優にいきなりAV男優が現れて犯す名物シリーズがありますが、これは実は演出であり、強姦罪の危険がない作品となっています。
しかし、コンプライアンスに問題があるからといって、それらの作品がすぐになくなることはありません。
なぜならば、単純に買い手が存在するからです。
たとえ事件になっても完全に消えてしまうまでには時間がかかるものです。
コンプライアンス遵守のために大手メーカーがそれらのジャンルから手を引くと、そこを中小メーカーが埋めるという流れが生じます。
だからこそ、消滅するためにはなかなか時間がかかります。
時に、完全に消滅してしまったかに思えるジャンルでも、小規模なメーカーが人知れず細々と制作している場合さえあるのです。
全ジャンルにおける割合が非常に小さくなっても存在し続けることが多く、それらの作品さえも摘発されて事件になって、初めて完全に消滅することとなります。
これらの問題あるジャンルのなかでも未だ根強い人気を持っているのが露出ものです。
露出ものAVが初めて事件になって既に10年以上が経過しますが、未だに撮影が行われ、時に事件になっています。
特に、この露出は撮影現場が人の目に触れやすいため事件になりやすいのですが、それでもまだリリースが続いています。
AVが「作品」から「商品」になった
AV業界に激的な変化が起きたのは1998年以降のことで、AVの中心的存在がレンタルからセルに移行した時点をターニングポイントとしています。
この変化によってそれまで業界内で強い権力を持っていた勢力、危険な存在、クオリティの向上についていけない弱小メーカーが次々と淘汰されていくこととなりました。
AV業界が根底から変わることとなったのです。
当然ながら、女優の労働環境もより良いものへと変化していきました。
AV業界の大変貌の流れを簡単にいえば、セルの皮きりになったAVは、未だ名高い「ルームサービス 小室友里」が登場したところです。
ユーザーが本当に求めているものは何なのかを考えて作られたこの作品は爆発的ヒットとなりました。
セルの時代が幕を開け、それから約8年間にわたるレンタルとセルの勢力争いを経て、2007年8月にビデオ倫理協会が強制捜査されて摘発されたところで一旦幕を閉じています。
変化のために約10年もかけているわけですが、この10年の中で人材や法人は大きく入れ替わりました。
この変貌期以前と以後では全く異なる体質をもった業界となりました。
このことは、撮影現場の様子に良く現れているでしょう。
変貌以前の撮影現場では、才気あふれるクリエイターや得体のしれない人物や危険人物がたくさんおり、時に違法なことをしながら制作していたものです。
しかし、変貌以後はそのような人物はいなくなり、一筋に抜ける作品を追求する職人ばかりが集まるようになりました。
目指すものが純粋に売上になったことで、AVメーカーの社員たちはビジネスマンのようになりました。
女優にとってこの流れはよいものでしたが、同時に失うものがあったのも確かです。
売上の追求・抜ける作品の追求と言うのはまぎれもなくビジネス的なスタンスであり、これが女優にとって安心で安全な業界に繋がっていることは間違いのないことです。
しかし、これは安定性を求めることでもあるため、個性的な作品を制作したり、売上が未知でのるかそるかの作品を制作したりする情熱的な雰囲気はなくなりました。
変貌以前のAVは映画のようなものであり、作品としての要素が非常に強かったのですが、これが変貌以後はユーザーを満足させるためだけの商品になったのです。
そのため、制作側は創造力や表現力などを抑制して制作しなければならず、このことを惜しむ声もないわけではありません。
では、この流れを生む直接的な原因となったセルビデオの登場について見てみましょう。
業界の黒船・ビデオ安売王
今では考えられないことですが、昔はAVは販売されているものではなくレンタルビデオ店で借りるものでした。
支払う額も数百円程度です。
よりレンタルビデオ店の利益になるものは回転率の高いAVであり、問屋はそのようなAVをレンタルビデオ店に卸していました。
メーカーはビデ倫(日本ビデオ倫理協会)に所属し、この協会が行う審査に通過した作品を流通させていました。
なぜわざわざ協会に所属して独自にリリースを行わなかったかと言えば、この協会は警察の天下り先として有名でした。
その為、認可をうければ警察のお墨付きをもらったも同然であり、合法の商売ができるからです。
しかし1993年、ビデオ安売王というセルビデオ店が全国に急速な勢いでチェーン展開を始めました。
マスコミにも宣伝をし、非常な勢いで拡大して1995年には全国で1000店舗を越えました。
この流れに乗じた日本ビデオ販売は、ビデ倫を通さずに制作したセルビデオをビデオ安売王に卸す方針を取ったことで、現在に至るセルビデオの原点となりました。
しかし、世間一般の認識ではビデ倫を通したビデオが表ビデオで合法、そうではないビデオは裏ビデオで違法、表ビデオであるビデ倫を通した作品がわいせつではないとする評価は不動のものでした。
この評価はある意味で的を射ています。
なぜならば、ビデ倫がヘアとアナルの露出を一切認めていなかったのに対し、自主規制によるインディーズのセルビデオではヘアとアナルの露出をしたからです。
しかも、このときすでに出版界ではヘアヌードが解禁されていました。
その為、セルビデオのこの流れはきわどいグレーゾーンでありながらも取り締まることができず、ヘアとアナルという刺激的な部位の露出を行うことで売上を伸ばしていきました。
なにしろ、女優のクオリティが明らかに低い場合でも、ヘアとアナルが見られる珍しさだけで売れていたほどです。
ビデオ安売王自体は、1996年2月に海賊版の販売をして提訴され、崩壊することとなりました。し
かし、本体がそうなってもチェーン店は生き残ることがあるのがフランチャイズ店と言うものです。
これらのフランチャイズ店は商品の供給元がない状態で宙ぶらりんになってしまいました。
しかしこれは何も悲観的なことではなく、逆に捉えれば一定の供給元を失っただけのことです。
そこに商品を卸したいと考えるセルビデオメーカーが続出することは言うまでもありません。
また、ビデオ安売王がつぶれても、セルビデオ店自体は激増していき、セルビデオというメディアは日に日に広がっていきました。
とにかく作って売れ!の時代
さて、当時のセルビデオはまだ新興のメディアであったため、一攫千金を狙う人々が次々と参入していました。
当然ながら制作される商品の量も非常に多いもので、粗悪品も量産されていました。
このことは、当時のAVを見返してみるとわかるでしょう。
女優の質もそれほど良くないばかりか、「とりあえずセックスシーンが入っていればOK」
という意識は確実にあり、とにかくたくさん作ってたくさん卸すことばかりが考えられていました。
また、上述の通り経後アナルが見られる珍しさからそんな粗悪品でもある程度は売れていきました。
当時の値段で4000~7000円という高価なものであったにも関わらずです。
ちなみに、この時もレンタルメーカーはセルメーカーの盛り上がりを傍目に、淡々と以前のビジネスモデルのまま、特に対処もせずに次第に利益を減少させていきました。
レンタルメーカーが内容の充実したAVを制作していれば変わっていたことでしょう。
しかし、レンタルメーカーもセルビデオほどひどくはないものの、内容が充実しているとはとても言い難いような作品ばかりリリースしていました。
このように、AV業界は盛り上がりを見せているものの決してユーザーは満足していないという、なんともおかしな状態になっていました。
ソフトオンデマンドの誕生
このときに生まれたセルビデオメーカーの一つがソフトオンデマンドです。
今やAVに興味がない人にまで広く知られている業界最大手のトップメーカーで、設立は1995年のことでした。
元々テレビ制作を行っていた会社であり、技術力と企画力において他のメーカーを圧倒する実力を持っていました。
その為、当時のAVがユーザーの満足いくものではないという事実に気付いてユーザー満足度を気に掛けた制作を行いました。
そして、登場した当初から他のメーカーとは一線を画する存在となりました。
驚異的なヒットを記録したのが、上記の「ルームサービス」シリーズです。
モザイクがかかっているものの当時では革新的なほどの薄消しであり、ユーザーが本当に求めていたものを提供していました。
しかし、顧客満足度と高めると言う企業の常識が薄れるということ自体が異常なことであり、ソフトオンデマンドの方法は正攻法であるとも言えます。
事業拡大に乗り出したのは1998年のことです。
商品の徹底的な品質改良、異業種参入、ユーザーの意見を取り入れるなど、それまでのメーカーに欠けていたものを追求しました。
それまでのAV業界に根強かった自己満足的な部分を排除していったのです。
制作する作品は当時の業界では考えられないほど一本一本が丁寧でした。
ソフトオンデマンドのこの姿勢を見習う形で、セルメーカー勢はこぞってユーザーの耳に耳を傾け、商品改良に努めるようになりました。
当時のソフトオンデマンドはまだ大手とは言えない規模でしたが、この姿勢は既成の大手セルメーカーにも浸透したほどで、セルメーカーの勢いはどんどんと増していきました。
このことを別の観点からみると、AVメーカーが一般企業のように“まとも”になって言ったと言うことでもあります。
つまり、現在のような整備された労働環境の発端は、こうしてAV業界に一般企業の論理が持ちこまれたことにあったのです。
当然ながら、このような流れに沿うことができず、かたくなに「とにかく作って売れ!」の姿勢を改めないメーカーは次々に消えていくこととなります。
そして、レンタルメーカーの勢いも急速に衰えていくこととなります。
また、ソフトオンデマンドが行った革新的なことはこれだけではありません。
当時のセルビデオは4000~7000円と言う高価なものでありました。
しかし、ユーザーの満足を追求したソフトオンデマンドは価格を大幅に下げ、2980円に設定したのです。
ソフトオンデマンドの「お客様第一主義」は業界を大きく変えました。
以前はセックスシーンが映っていれば合格だったものが、内容を追求されるようになったのです。
AVという商売を甘く考えていた人々は自然淘汰されていきました。
また「脱いでセックスすればいいんでしょ」という甘い考えを持っているAV女優も淘汰されていったのです。
ユーザー第一主義になれば、女優は可愛くならざるを得ません。
なぜならば、ユーザーの不満は「この作品のこのシーンをもっとこうしてほしかった」
というものではなく、やはり「もっと可愛い女優の絡みがみたい」という不満が根深いからです。
それだけに、この流れが起こってからと言うものAVプロダクションも可愛い女優をできるだけ採用したいと思うようになりました。
女優獲得のための動きもそれまでとは比べ物にならないくらいに力がいれられるようになりました。
このようなところでも、業界と女優の変化は確実に起こってきたのです。
企画単体女優の誕生
企画単体女優、通称キカタンと呼ばれる女優はこの時期に生まれています。
それまでは単に単体女優か企画女優かでヒエラルキーが分けられていました。
しかし、企画女優でありながら単体作品に出演する実力を持っている女優としてキカタンが現れたのです。
AVの歴史を語るならば、この点を知ることも欠かせないでしょう。
1998~2002年はセルとレンタルの競争が最も熾烈化し、この他にも撮り下ろしの裏ビデオ、無修正の逆輸入。
もはやモザイクの意味をなさないほどの超薄消しの作品など、グレーゾーンを越えた非合法勢力も拡大していきました。
また、メディアもビデオからDVDへと移行していった時期です。
AVが非常に活気あった時期であると言えますが、レンタルビデオは徐々に劣勢となり、目に見えて衰退していった時期でもあります。
当時のAVは単体女優は華々しく活動し、企画女優は派手な活動をしないはずでした。
しかし、この活気の中ではやる気と魅力を兼ね備えた女優ならば、たとえ企画女優でもビデオ、雑誌、裏ビデオなど色々な撮影に呼ばれて非常に活躍できるようになりました。
このような企画女優は、企画女優でありながら休みがなかなか取れないほどの活躍ぶりであり、売れっ子になると毎日のように新作がリリースされることもありました。
仕事は溢れるようにあり、スカウトマンもここぞとばかりに女性をどんどんプロダクションに送っていました。
中には、単体女優以上の活躍をする企画女優まで現れるようになりました。
単体女優はメーカーの宣伝力を用いて名前を売ることができるため非常に有利に活動できます。
そして、売れっ子企画女優は出演の絶対本数を増やすことで人気を上昇させ、単体女優を追い抜くという逆転現象が起きたのです。
これがキカタンの概念が生まれた背景です。
このような逆転現象の当事者となったキカタンで有名な女優を挙げると、長瀬愛、堤さやか、うさみ恭香、桃井望などがいます。
メーカーの宣伝など何らかの補助的要素があって売れたのではありません。
とにかく出演本数を増やして多数のファンを獲得し、ファンから持ちあげられてユーザー主導で生まれた女優であります。
無修正の裏ビデオや過激な作品にも多数出演していることから、当初のキカタンは捨て身で活動した結果大成功を収めたともいえます。
それまでは裏ビデオやインディーズの作品に出演した女優はレンタルメーカーからオファーが来なくなり女優生命を断たれるとも言われていました。
しかし、レンタルメーカーが衰退してセルメーカーが多数誕生したためその心配も要りません。
また、単体女優は自分はAV女優の中でも特別な存在であるとの自覚からなかなか薄消しや過激な作品には出演したがらなかったことも、キカタンの誕生に一役買っています。
このほか、当時はAV女優は「単体女優とその他」というようなイメージがあり、企画女優は底辺からの出発という意識が潜在的にありました。
この事は、言いかえれば失うものがないと言うことでもあります。
企画女優たちは下がないことをプラスに転化し、あらゆる媒体に出演し、人気者になると月に20本以上も出演して単体女優たちを圧倒する人気と知名度を獲得していったのです。
キカタンの悲哀
このキカタンの活躍ぶりは凄まじく、出演しまくることで消費が早くなるかと思いきや、出演すればするほど知名度が上がってさらに需要が出てきました。
それまでのAVには見られなかったポジティブなスパイラルが起こったのです。
しかし、これも良いことばかりではありません。
今でこそ女優が女優で居られなくなるのは売れなくなって出演オファーが来なくなった時、つまり自然消滅を迎えるときですが、当時のキカタンたちはそうではありません。
人気から考えてまだまだ引退はないだろうと思われる時に、引退宣言もなく、引退作品もリリースせず、消えるように突然いなくなっている女優が非常に多いのです。
もし円満な引退であったならば引退作でひと稼ぎして辞めるはずです。
何の情報も知られてないままに突然いなくなるというのは、おそらく円満な引退ではなかったことが予想されます。
おそらくは過労によって体調を崩したり、失踪してしまったのではないかと思います。
当時のモデルプロダクションは、業界に一般企業の論理が持ちこまれたとはいってもまだまだクリーンなものとは遠く、健全化の途中であるにすぎませんでした。
そのため、女優に過酷な労働を強制したり、時に脅迫が行われるようなことが起こっていました。
このことから、女優たちがセックスを売ることに嫌気がさしたり、過酷な労働に参ってしまったり、何らかの原因で辞めたいと思ったとしても、容易に辞めさせるはずはありません。
いくら売れっ子と言っても彼女たちはまだ20歳前後の若い女の子たちです。
突然辞めたいと思っても無理はありませんが、それを業界が許さなかったことでしょう。
一般の企業でも能力に乏しくあまり仕事を任されていない、忙しくない従業員はトラブルに巻き込まれることが少ないです。
逆に、有能で多くの責任ある仕事を任されている、忙しい従業員になればなるほどトラブルに巻き込まれやすくなるのは当然のことです。
現在のAV業界ではトラブルが起きにくい体質になっていますが、それでもやはりトラブルになりやすいのはキカタンであることに変わりはありません。
とくに毎月何本も新作の単体作品をリリースして猛烈な勢いでセックスを売っている人気のキカタンになると、たくさん働くことによって驚くほど稼ぐことができます。
このような女優の出現した当初、プロダクションにとっても驚きの出来事であったことでしょう。
それまでは毎月1本ペースで安定して収益を生み出してくれる単体女優と、それに比べると細々とした微細な収益を生み出してくれる企画女優しかいなかったのですが、
それに対し、いつまで稼げるのかわからないものの巨大な収益を生み出してくれるキカタンという存在が出現したのです。
プロダクションの選択としては、稼げるときに稼いでおくと言うのはマネジメントする側の当然の選択でしょう。
プロダクションは次々に仕事を斡旋し、当のキカタンはあまりの忙しさにだんだんと嫌気がさしてくるという溝ができるようになりました。
今では考えられないことですが、当時の人気のキカタンというのは3ヶ月先まで1日の休みもなくスケジュールが埋まっているような状態になっていたのです。
心身の健康は顧みられず、第一にオファー、健康状態は二の次になっていました。
そして、女優が壊れてしまうというケースが良く見られるようになってきました。
今振り返ってみても、キカタンというヒエラルキーが生まれた当初のキカタンたちは、本人たちがどれくらい稼いでいきたいか、
仕事とプライベートや健康面のバランスをどのように取っていくのかということが考慮されておらず、過酷な労働に従事していました。
当時の作品を見てみると、VTRの中やエロ本の中で笑顔を見せているのですが、その笑顔の陰には何らかの辛さが見え隠れしているのが分かると思います。
業界を震撼させた大事件
さて、このように辞めたくても辞められない状態が続くと、人は正常な思考を失ってしまうものです。
数年前、ワタミ社員が過労を理由に自殺した事件がありましたが、正常な思考の人ならば
「辞めればいいのに」と思うものなのですが、過酷な労働に従事する本人たちはそのような考え方ができなくなるのです。
当時のキカタンたちはもっと悲惨です。
正常な思考が失われていく可能性はもちろんありますが、辞めたいと思っても脅迫めいたアクションを受けることで辞めることが許されなかったのです。
そのような状況に置かれた時、唯一の手段は何でしょうか。考えられる手段の一つに失踪があります。
失踪しようとしたことが原因かどうかは定かではありませんが、当時人気絶頂であった桃井望が死んだ事件は業界を震撼させました。
事件のことに簡単に触れてみると、2002年10月、桃井望が当時交際していた男性と車の中で焼死したというもので、警察は無理心中という結論を下したという事件です。
しかし、
- 焼死体は素足で靴が自宅に残されていたこと
- 自宅のパソコンの電源が入ったままであったこと
- 運転者である男性の死体が後部座席似合ったこと
- 二人とも数日後に友人と会う約束をしていたこと
- 灯油による焼死であったにも関わらず容器が見つからなかったこと
- 桃井には刺し傷があり、男性は右利きであるのに包丁が左手に握られていたこと
など、他殺としか考えられない事件だったのです。
業界からの圧力があったのか、どのような理由であるのか分かりません。
一般人の見解でも他殺であるこの死に対して、警察はかたくなに自殺であるとの見解を示して捜査を行いませんでした。
業界が震撼したことは言うまでもありません。
当時の業界の闇はあまりにも深く、業界人であろうとも全てを知っている人はおらず、まさか人が死ぬようなことが起こるとは夢にも思っていなかったのです。
しかし、実際に桃井は他殺としか考えられない死に方をし、しかもその後に男性の家族が名誉を回復するために起こした訴訟(自殺であるとして保険金の支払いを拒否した住友生命を相手取った訴訟)のなかで、裁判長が
「突発的に自殺を決意し、交際相手を殺し車に放火したと合理的に説明することは極めて困難。第三者に殺害されたと考えるのが自然」
と他殺を認定しています。
裁判所がこのような見解を示した以上、ほぼ他殺と考えてよいに違いなく、業界は想像以上の闇の深さに震撼することとなったのです。
業界の変貌
当時の新興セルメーカーのほとんど全てがコンプライアンス遵守の為に動き、業界全体にそのような流れが生まれていた時に、桃井望の事件は起きました。
この事件が影響力を持たないはずはありません。
このことは紛れもなく、一般企業の論理を取り入れて労働環境の改善を進めてきた業界にとっては「失敗」でした。
この失敗への反省が、よりコンプライアンスを守るための動きを生んでいくこととなりました。
昔は当然行われていた反社会的な撮影
(女優に何も知らせずに公共の場へ誘導していきなり露出することを求める、女優の同意がないまま怪我をするほどのハードSMやレイプを行うなど)
はほとんど行われなくなりました。
このように、セルビデオメーカーが企業イメージの向上に努めた結果、AV関係の法人から個人に至るまで、AV業界全体が意識を変えていくことになります。
かつて持っていた反社会的な流れやゆるさはなくなっていきました。
本来のAVの要素を色々考えてみると、驚きも売りの要素となることは間違いのないことです。
つまり、ユーザーに「こんなことして大丈夫なの?」とか「こんな女性がこんなことするなんて」という驚かれることも売りとなります。
だからこそ、未成年を出演させたり、一般女性を強姦するというような明らかな違反行為をのぞいて、法律を犯さないぎりぎりのラインでの制作が行われていたのです。
しかし、業界の流れがコンプライアンス遵守に向いた以上、そのような作品を制作していたのでは取り残されてしまい、潰れるしかなくなります。
そのような驚きに満ちた作品は制作することを控えました。
女優の労働環境にも配慮するために、女優のクオリティを挙げることや内容の充実した作品を制作することでその穴を埋めていくこととなりました。
このような限られた範囲内での改善を繰り返した結果は早々に現れ、2005年には芸能人がAV女優になると言う領域にまで達してしまいました。
AVの将来は明るいのか
容姿端麗で著名な芸能人がAVに出演すると言うことは、それだけで商品力のある企画となります。
逆にいえば、これ以上のものを制作するのはもはや不可能と言えるかもしれません。
こうして、2005年には既にユーザーを満足させ尽くしてしまい、早い段階で飽きを生んでしまいました。
結果的にユーザーが離れていき、現在のAV不況の原因になったと考えることもできるでしょう。
他の原因としてネットが発達してユーザーの高齢化を招いたことも挙げられます。
このように業界改善の道程でレベルを上げすぎ、ユーザー満足度が早い時点で限界に達してしまったことも確実に原因になっています。
他の業種においても、業界での競争が過熱し、スペック向上や低価格の追求が度を越して限界を突破して競争が行われた結果、業界全体で自滅をしたケースがありますが、AV業界の流れもこれと似ています。
人間の性に対する関心は衰えることはないためAVがなくなることはないと言われています。
しかし、AVに変わって性欲を満たす優れたものが登場すれば、AV業界は破滅する可能性があります。
現在のAV業界は、AV女優のギャラが10年前の半分以下に落ち込んでいると言う異常事態を呈しております。
既に業界の脆弱化が進んでいますが、弱り切ったところに黒船とも言える何らかが登場すれば、簡単になくなってしまうかもしれません。
ひとつの結末
大きな変貌を遂げてきたAV業界も、2007年で一段落することとなります。
もちろん、それ以降も様々な点で改善が進んでいますが、当時の急激な変化からすれば小さな変化の繰り返しです。
この結末は、ビデ倫率いるレンタルビデオと新興勢力であるセルビデオの競争に決着がついたことで迎えることとなります。
当時はこのような結末を迎えることになるとはだれも考えていなかったことでしょう。
何と警察の天下り先であり安泰と思われていたビデ倫が警視庁に摘発されたのです。
なぜ摘発されたのかといえば、以下のような経緯がありました。
上述の通り、ビデ倫はアナルとヘアを猥褻であるとし、これを盛り込んだ作品をかたくなに拒否していました。
しかし、それではクオリティ向上が著しいセルビデオに押されてしまうのは容易に想像のつくことで、ビデ倫系メーカーは深刻な売上不振に陥るようになりました。
多くのメーカーがビデ倫を脱退し始め、この脱退メーカーとセルメーカーが中心となってメディア倫理協会、全日本映像倫理審査協会、VSIC、販売倫理機構などの審査機関を作るようになりました。
これではビデ倫の立場がありません。
窮地に立たされたビデ倫は、2007年初頭のごく短い期間、審査基準を非常に甘いものへと改定しました。
ヘアとアナルの露出解禁、薄いモザイクの容認などをするようになりました。
男優のアソコに掛けられるモザイクなどははっきりと形状が分かるようなモザイクのかけ方であり、ある意味セルビデオ以上であったとも言えます。
他の倫理団体はここぞとばかりに警察に垂れ込み、また同時期にビデ倫のバックについていた警察関係者の内輪揉めもあったことで摘発に至ったのでした。
この時の摘発は類を見ないほどに大規模なものでした。
わいせつ図画領布幇助の疑いありとして、ビデ倫に家宅捜査を行ったほか、複数の制作会社、それらの商品を陳列していたヨドバシカメラなど、20か所に一斉摘発が行われたのです。
ガサ入れを行われた場に居合わせたあるメーカーの社員は、当時のことをこのように語っています。
「8月23日の昼ごろでした。いきなり数十人の警官が社内に入ってきたんです。
社員同士の口裏合わせを封じるためでしょうね、社員は全員バラバラにされて事情聴取を受けました。
携帯電話の電源も切るように言われ、電話をかけることは禁止されました。
会社に掛かってくる電話も1回線だけにされて、その電話に対応する時には警官が後ろで聞いていました。
かばんの中身もチェックされるほどの徹底ぶりで、保険証とか個人情報が分かるものはコピーが取られました。
夜6時を過ぎてからで、皆疲れ果てていましたよ。パソコンとかDVDも全部押収されて、仕事もまったくできませんでした」
この摘発の結果、4年以上の歳月を費やして罰金を命じられたもの、懲役を命じられたもの、執行猶予を言い渡されたものなどが多数出ました。
このような有罪判決が下ったことに対して、ビデ倫は「表現の自由の侵害ではないか」と反論していますが、審査業務はこの摘発をきっかけに終了しています。
レンタルビデオとセルビデオの戦いはビデ倫というレンタルビデオの総大将が討ち取られたことでセルビデオの圧勝に終わりました。
AVの黎明期から現代に至るまでには、このような激しい動きがありました。
人類の歴史からみればわずか30年という短い期間ではあります。
しかし、その中で生まれた労働環境その他の変化と、その結果人々が抱く性に対する意識の変化は、非常に大きなものだったのです。