やはり…麻美ゆまがガンになった本当の原因
麻美ゆまは、2005年にAVデビューしてからというもの、単体女優として常に業界のトップを走り続けてきました。
活動の幅はバラエティ番組やテレビドラマへと広がっていき、恵比寿マスカッツの主要メンバーとして広く一般にも人気を獲得しました。
しかし2013年2月、境界性悪性腫瘍に罹患していることが判明し、子宮と卵巣の全摘出手術を受けました。
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やはり…AVに原因が?
麻美ゆまは、悪性腫瘍で子宮と卵巣の摘出手術を受けましたが、その後ガンが直腸に転移していたため抗がん剤治療を開始し、厳しい闘病生活の末に同年10月には治療を終えています。
現在は主にタレント活動を行っており、AVへの出演は休業しています。
彼女がこの病気に罹ったことに対して、一部では「自業自得」「セックスのしすぎ」等と言う誹謗中傷が寄せられていますが、このような誹謗中傷は全く根も葉もないことです。
彼女の罹ったガンは女性ならば誰にでも起こりえる病気であり、彼女がAV女優であったからこの病気に罹ったと言うものではありません。
仮にもしそうならば、AV女優、風俗嬢など、性風俗産業に従事している女性の大部分が罹るのが当然ですが、そのような事実はありません。
麻美ゆまの主治医もセックスとの因果関係を否定しており、AV女優の人工からすれば統計学的にも1人くらい卵巣腫瘍担って何らおかしくはないのです。
がんの公表
麻美ゆまは、2013年6月に、手術をしたことを公表しました。
公表前の4月に恵比寿マスカッツの解散ライブに出演したのですが、その時にはガンの影響でかなり痩せてしまったこと、またAVは2月から休業していたため、妊娠説、重病説、失踪説などの色々な憶測が流れたため、ファンの不安を解消するために公表することとなりました。
病気になった時にはAV女優を引退しなければならないかもしれないと思いましたが、このままでは終わりたくないという気持ちが強かったため、できるところまでやりたい、復帰したいという目標を持つようになりました。
もし復帰がかなえば、今までどうしていたのかという思いをファンは持つでしょう。
その時に嘘をつかなくてもよいように、公表を決めました。
また、麻美ゆまの腫瘍は見つかりにくいタイプなおものであり、回復するまでわからないもので会った上に、境界悪性腫瘍といえば聞きなれない病名でもあったため、さらなる憶測を呼ぶかもしれないという思いも公表に至った動機です。
公表はツイッターで行いました。
そのほか、スポーツ新聞などの取材も受けるようにしたため、ネット上では彼女の口から出た言葉が記事として掲載され、ファンからの反響も大きなものがありました。
AV女優という一般的に蔑まれることの多い職業柄、色々な憶測や罵声も覚悟していたようですが、予想に反して励ましの言葉を掛けてもらうことが多く、それを励みに闘病することができました。
飯島愛の死が悼まれ、彼女のブログに今もコメントが投稿されていることを見ると、AV女優として働く女性が一般に受け入れられるようになってきている風潮を感じていましたが、麻美ゆまの闘病を応援する人がたくさん現れたことで、この風潮は着実に現れてきているといえます。
ただし、病気を公表した時点では、目標の通りに復帰できると確信していたわけではありません。
どのような形で復帰することができるかは全く予想がつかず、手術痕を抱えたまま以前の通りの活躍ができるかどうかも分かりません。
AV女優は体が売り物というのが基本であり、リストカットを抱えた女性はAV女優として活躍することが難しいほどです。
また、公表当時は抗がん剤治療の真っ最中であったため、先の見えない不安は大きかったことでしょう。
ガンの告知まで
麻美ゆまが体に異常を感じたのは、2012年の年末の事でした。
最初はお腹に不調がある程度だったためそれほど気にしていませんでした。
年末で忙しくしていたことから、その疲れもあるのだろうとあまり重くとらえていなかったのです。
しかし、年が明けてもお腹の不調を含めた体調不良は改善されず、市販の整腸剤を飲んでも全く効果が見られませんでした。
いよいよ異常を感じたのはそれから間もないころです。
仕事で忙しく病院に行けず放置していたところ、お腹が膨らんできたのです。
お腹が風船のように膨らみ、日常生活に支障はないものの、スカートが入らなくなるくらいの膨らみができました。
一方、お腹の膨らみに反して体は痩せていきました。
おかしいとは思ったものの、一年前に断食をしたときの影響で体質が変わったのだと捉えるにすぎませんでした。
しかし、異常はお腹の膨らみだけにとどまらず、食べ物を食べたら苦しく感じる、トイレの回数が増えるなどの異常も起きていました。
病院に行く前日までAV撮影をしていましたが、これが彼女の最後の撮影となっています。
職場の仲間からは腸炎ではないかと言われたため、病院に行くことにしました。
病院でレントゲンを撮ってみると、腸炎だとすれば消化器系の病気であるはずが、婦人科の病気の可能性が高いとされました。
最近痩せたか、腹水がたまっていると感じたことはないかなど、色々な質問をされた後、婦人科にいってみると、子宮内膜症のかもしれないという診断でした。
検査のためにCTやMRIを受けることに。検査結果が出るまで、自分なりにインターネットで色々調べた結果、卵巣がんではないかと思うに至りました。
検査結果が出たのが2013年2月1日のことです。
卵巣に悪性の腫瘍の疑いがあると告知されました。
“疑いがある”というのは、卵巣の病気は開腹して視認するまで断定ができないからです。
しかし、レントゲンでは悪性の可能性が示唆され、医者の言葉によると「色々な先生に見てもらいましたが、全員が悪性ということで一致しました」とのことでした。
この時点で、子宮の全摘出手術と抗がん剤治療が必要となることまで言われました。
一度に悲しい出来事に襲われる
病院で告知をされた1時間後、麻美ゆまは都内のスタジオで恵比寿マスカッツの最終シングルのジャケット撮影を行っていました。
頭がパニック状態だったため、マネージャーとは何を話していたかは覚えていないそうですが、とにかく仕事をこなしました。
その現場でもまた痩せたと言われ、普段ならば女性にとって褒め言葉であるはずの「痩せた」という言葉を忌々しく思ったといいます。
マスカッツメンバーの蒼井そらにだけは、その現場で病気の事を伝えました。
撮影が終わってからは蒼井そらの家で過ごして支えとなってもらい、その夜には元カレ(分かれていたものの関係が続いていた男性)に病気の事を伝えました。
元カレの家に行って病気のことを伝えたところ、支えになってくれると言ってくれたものの、その男性の家で他の女性の生理用ナプキンを見つけたことで別れを決心しました。
一日のうちにショックな出来事が続けて起きたことで、どん底にたたき落とされたような気分でした。
家族へ伝える
その後まもなく、麻美ゆまは入院することになりました。
子宮全摘出を行うと、当然子供を産めない体になってしまうため、それを避けるために卵子凍結や一部の卵子を残すなどの可能性を模索しましたが、どこの病院でも子宮の全摘出は避けられず、子供は諦めるほかないと言われるようになりました。
その上で、全摘出手術を前提に、名医のいる病院に入院しました。
問題は、4月7日には恵比寿マスカッツの解散コンサートが予定されていたことです。
なんとかそれまでに間に合うような治療はないものかと相談し、2月25日に手術をすることになりました。
マスカッツの演出をしているマッコイ斎藤に解散ツアーにどうしても出たいとお願いをしましたが、闘病に集中して体を治すことがあなたの仕事だと諭され、病気に対して前向きになれたといいます。
明るい気持ちを保つために、入院中のパジャマはピンクのものを選ぶなどの工夫もしました。
母親にも当然打ち明けましたが、母親に孫の顔を見せられなくなったこと、父親もガンでなくしていたことなどから、打ち明けることに戸惑いもありましたが、マスカッツのライブを毎回楽しみに見に来ていた母からすれば、ライブに出られないとなると伝えないわけには行かなくなるでしょう。
最初は子宮の病気であるとだけ伝えました。
しかし姉にだけは本当のことを伝えており、後日姉と二人で卵巣がんの疑いがあるため子宮を全摘出しなければならないことを伝えました。
母は号泣し、麻美ゆまと姉も号泣した後、家族で支え合って前向きに行こうと決意するに至りました。
難しい手術に挑む
母親に本当のことを伝えてからの入院となりましたが、手術までには3週間の期間がありましたが、マスカッツメンバーからのメッセージボード、千羽鶴、差し入れなどで気をまぎらわしながら手術の時を待ちました。
しかし、いくら気を紛らわすことができたとはいえ、手術に対する不安はひましに大きくなっていきます。
そもそも手術はうまくいくのか、人工肛門は避けたいなど、色々な悩みを抱くのも当然のことです。
手術は、まず開腹し、卵巣と子宮を摘出し、腸の手術は術中に判断する「術中迅速診断」に頼ることとなりました。この診断方法は本来顕微鏡などで判断するところを、肉眼でスピーディに見たてるものであり、非常に難易度の高い診断となり、時に誤診も起こるものです。
術中迅速診断の結果境界腫瘍(良性でも悪性でもない腫瘍)と判断され、悪性だったら腸も切り取らなければならなかったところを、一旦手術は中断されました。
医者は家族に切り取るかどうかの確認を行ったのですが、麻美ゆまが事前に人工肛門を避けたいと伝えていたため、切り取らずに手術を終えました。
手術から1週間が経過して検査を受けても、結果は境界悪性という分類でしたが、症状の進行はかなり進んでいました。
境界悪性と診断される人の80%は未だほとんど進行していない状態で発見されるため、麻美ゆまの病態は稀なケースといえます。
境界悪性については良性でも悪性でもない中間のものであり、医者の間でも統一した見解がないものです。
特に麻美ゆまの場合には、境界悪性の中でも稀な「Ⅲb」という分類のものであったため、症例も少なく、治療法の判断も難しいものでした。
精神的に辛い時期を過ごしましたが、病気から回復すれば恵比寿マスカッツの解散ライブに出られるため、それを目標として手術後はリハビリに励みました。
30センチほどメスを入れているため、痛みが起こるのは当然のことです。
少し動いただけで痛み、くしゃみや咳などしようものなら身震いするほどの痛みを覚えたといいますから、リハビリは非常に厳しいものだったことでしょう。
病院内で他の患者と仲良くなり、お互いの病気を知り、励まし合うことができました。
目標をしっかりと持ち、その目標を達成するためのリハビリも乗り越え、無事退院することとなりました。
しかし、退院とは現実に戻ることであり、入院前と退院後では明らかに自分が変わったことも実感しました。
また、入院期間中にもマスカッツメンバーは各地でツアーを行っていたことから自分だけ取り残されているようにも感じ、抗がん剤治療が始まることを考えるとますます周りに取り残されると思ったのです。
これが悩みとなり、現実と向き合えなくなりました。
うつのような状態になり、現実から逃れたい、消えたい、誰にも会いたくないという気持ちから、旅に出ることにしました。
特に目的地は設けず、ただ各地の名物の冷麺を食べるという旅。
まずは上野から盛岡へ、盛岡について冷麺を食べてみるとあまりおいしいという感動はなく、気持ちには何の変化もありませんでした。
そこからは北海道へ行き、旭山動物園に行きました。
旅と言うには余りに無計画なものであり、とにかく誰も知らない土地をうろうろしたいという、深い悩みを抱いた人独特の行動に出たことが窺えます。
そんな旅に時間を費やしていたときにも、抗がん剤治療の事は常に頭にあったため、治療の打ち合わせを予定していた前日に東京に帰りました。
抗がん剤治療が始まったのが3月21日であり、これはマスカッツの解散ライブを意識したスケジュールでした。
恵比寿マスカッツの解散ライブにフルで参加
抗がん剤治療の辛さは、経験した人はもちろんのこと、周りの人にも相当に辛いものであることが分かります。
患者は辛さを訴えながらやせ細り、髪の毛が抜けおちていきます。麻美ゆまも、当然ながらその辛さを伴う抗がん剤治療が始まりました。
ライブは4月7日です。
予定によればライブ前後が脱毛期になり、これならいけるとおもって演出家のマッコイ斎藤に相談したところ、体力面を考慮してライブ2日目の中盤以降に出演することを提案されましたが、本人の意向で最初から全て出演することに決まりました。
しかし、ライブに出演すると言うのは簡単なことではありません。
単にライブ当日だけ参加して歌って踊るということではなく、リハーサルにも参加しなければなりません。
最初は見学を行い、できる範囲で体を動かしました。
その間、次第に脱毛が始まってきたためにカツラにしたのですが、この時点ではメンバーに病気の全てを話していませんでしたが、これは気を遣うあまりにライブに集中できなくなることを避けたいと言う思いからでした。
また、この時期が麻美ゆまのこれまでの人生で最もやせ細った時期でした。
麻美ゆまからマスカッツのことを医者に伝えたところ応援してもらうことができたため、幸いドクターストップがかかることはありませんでした。
この医者はライブ当日にも、途中で何かあった時のために見に来たといいます。
ライブ当日は感染予防の抗生物質を飲み、会場となる舞浜アンフィシアターに行きました。
ファンの前に姿を見せるのは1月のイベントが最後であったため、実に3カ月ぶりの登場となりました。
麻美ゆまの活躍ぶりを考えると3ヶ月も姿を見せないのは考えにくいことであり、久々に登場したときにはガリガリになっていたのですから、ファンから心配されるのではと心配していたのですが、実際には割れんばかりの歓声に迎えられることとなりました。
ライブは5時間にもわたり、すべてに参加して当初の目的を貫徹することとなりました。
AV女優の地位は向上している
ライブを終え、ファンとの握手会を終えると、打ち上げがありました。
しかし、打ち上げの盛り上がりに水を差さないようと、そこでは病気を打ち明けることなく早めに切り上げました。
この2日後には、2回目の抗がん剤治療が待っていました。
抗がん剤治療は予想通りの辛いものでした。
副作用が強いために、やるたびに気分が悪くなり、体中の至るところに不調が出てきます。
倦怠感、体のしびれ、湿疹、発熱、動悸、などが出る1週間目はほとんど寝て過ごし、2週間目からは急激に脱毛が始まります。
3週目以降では骨髄抑制という白血球や血小板の数値が下がり感染症のリスクが高まるため、生ものは食べられない、血が出るようなケガをしてはいけないなどの注意が必要となります。
麻美ゆまの場合には骨髄抑制の症状が強かったため、3週に1回の抗がん剤治療を4週に1回に減らすなどの調整をし、8月中旬に最後の治療を行いました。
このような副作用に耐えながら復帰を目標として闘病を終えたのが10月です。
現在はAV女優としての活動は休業しており、タレント活動などを中心に活動しています。
AVに出演しなくなったことで、AV女優としての麻美ゆまに注目していた人にとっては影が薄い存在になってしまったかもしれませんが、ともかく治療を終えて復帰できたことは喜ばしいことと言っていいでしょう。
AVは関係ない。恐れないで!
麻美ゆまはAV女優と言う職業に従事していたため、この病気に罹ったと言うものではありません。
そのため、AV女優を目指す全ての女性がこの病気を恐れる必要はないでしょう。
注目すべきは、復帰が危ぶまれるほどの大病を患いながらも、復帰したい一心で闘病したと言うことです。
AV女優としての矜持、プロ意識、ファンに対する思いなどと共に闘病を遅れたからこそ、現在またファンの前に姿を出せるほどに回復したのです。
また、彼女がAV女優であることにかかわらず、男女を問わず、またAVの視聴者層であるかどうかを問わず、幅広い層の人から応援されたと言うのも注目に値するでしょう。
地上波で麻美ゆまの闘病を負うドキュメンタリー番組なども放送されたほどです。
これらの事実を見るにつけ、AV女優の社会的地位は次第に向上していると言う実感があるのです。